「させられた」それって本当?
それって本当に「させられた」の?①
私がいつも「ん?」と思うことなのですが、「○○させられた」という表現がありますよね。
「他人から傷つけられた」とか、「営業マンに契約させられた」とか「恋人に裏切られた・・・」など、今日はそれに関することを書きたいと思います。
もしかしすると、人によってはちょっとキツく感じるかもしれませんが、それも心の状態次第。なぜ、キツく感じたかをちょっぴりみつめてみるのもいいかもしれません。
その通りだ!と思う人は、自分のより深い確信に。キツいと感じた方は、この記事にあなたの心の中の何かが投影されていることでしょう。
そして、意識が変わる機会になるかもしれません。心穏やかに読み進めていただければと思います。
「○○られた」という表現は、まるで相手に強引に、縄でも括り付けられて、コントロールされて、奴隷のように自由が奪われていて、何かさせらるのを同意のもとで強いられているようなイメージかもしれません。
しかし、それって本当に「○○られた」のでしょうか?
それって本当に「させられた」の?②
まず、和をもって他者との関わりを大切にする日本人の特性は、とても褒めるべき点だと思います。
例えば、冒頭に書いた「営業マンに契約さられた」という表現などをよく考えてみますと、引き出しから印鑑を持ってきたのは誰か?朱肉に印鑑を付けたのは?契約書に印鑑を押したのは?本当に断る余地がなかったのか?
そんなことはないですよね。自分で引き出しに印鑑を取りに行って、自分で朱肉を付けて、自分で契約書に印鑑を押したんですものね。自己責任です。
それと同じく「傷つけられた」という表現も、相手はもしかしたら、傷つけた、という感覚がないかもしれません。
自分視点に立った時には、傷つけられた、と思うかもしれませんが、この感情の責任は、相手ではなくて、自分でそう思ったということ。
裏切られた、ということについてもいろんな裏切りがあります。例えば、婚姻関係にありながら、相手はそれを破って他の人と性関係を結んでしまった。これも、一般的には裏切りかもしれません。
はたまた、あんなに仲が良かった友人が、急に手の平を返して自分を悪者に仕立て、別の人に悪口を言っていた、なんてことも裏切りかもしれません。
よくある話ですし、私も経験があります。しかし、本当にそれは裏切りなのか?と言ったら私はそうではないと思っています。
実際に仲が良かった人が手の平を返して、私を悪者に仕立てたという経験もあり、あまりのショックにポカーン状態でした。と同時に世の中の人々の怖さと人間ってそういうものなんだな、という現実を知りました。
しかし、相手が自分を裏切ったというよりも、ただ単に、相手は、「選択肢を変えた」ってだけなのだと。私ではなく、自分にとってメリットのある相手を選んだだけ。
そういう人は世の中たくさんいて、離れるのは当然なことだとも思うのです。なぜなら、波動が合わないから、相手は選択肢を変えただけのことです。
浮気だって、裏切られた、と思い込んで苦しい感情を選択するのも自分ですが、下半身は別物の男性がフラフラと不貞行為にいってしまった、または、セックス依存症などの場合もありますしね。
相手が離婚する気がないのに、そういうことを続けているとしたら、人間の三大欲求の一つを配偶者に求められなくなってしまって、他に求めてしまった、理性がコントロールできないという人間の弱さを持っているんだ、とも理解できます。
・・・なんて思考になれたらすごいですね。しかしながら、決して、「わざと」裏切ろうとか、傷つけようとは思っていないはずです。
すべては自分本位に捉えている
これは、1つの物事の味方ですから、どちらを肯定する、というわけではありませんが、物事の感じ方は、相手がどうのこうのではなくて、すべて自分本位に勝手に捉えている、ということを覚えておきますと、依存せず、楽な人間関係になっていきます。
そして、知らず知らずのうちに、自分もまた知らないところで人を傷つけていたり、裏切りと勝手にとられていたりなどもよくあります。
知らないで傷つけていたなんて多いと思います。私にもたくさんありますよ、なんせ、おおざっぱな男みたいな性格ですから繊細さに欠けている部分がよくあります。
私一人に対して、読み手は3万人以上いるわけで、中には、ブログの記事で傷ついた、苦しかったなど、メッセージも来ますが、全く責任は感じていません。読者さんを傷つけようなんて思っていませんから。
ブログでも何度お伝えしても足りないくらい、最も感謝している対象である読者様を傷つけようなんて思うわけがない、ということは皆さんもご存じのはず。
「○○された」の感情は、すべてこちらの感じ方次第で相手は傷つけようなんて、これっぽちも思っていないことがほとんどなのです。
「○○された」という捉え方を手放そう
そして最後に、これはとても重要なことですが、もし、わざとあなたを陥れたり、傷つけようとする人がいたとしたら、すぐに離れましょう。
相手に、自分の大切な感情を奪われてはなりません。そんな人のために、心を痛める時間も感情ももったいないですから。
物事の捉え方は相手に責任はありません。自分の捉え方で世界が作られます。「○○られた」という感覚がなくなると、本当に楽ですよ。
今日の記事、何かお役に立つ小さな点があれば幸いです。