誰と付き合うかより、誰と付き合わないか
「付き合う人に気をつける」の意味
人間関係の中で大切にしていること、それは、誰と付き合うかよりも誰と付き合わないか、です。
なぜなら、10人のいい人と付き合っても11人目の、たった1人が、強力にあなたに対して害悪を与えるような人であれば、生活やメンタルが脅かされ、悩み、苦しみ、面倒なことになりかねないから。
付き合う人に気をつける、とは、誰彼につながるのではなく、あなたの価値観とかけ離れ、かつ、あなたにとって「なんかやな感じ」と感じる人からは離れていくこと、付き合わないほうがいいのです。
人付き合いとは、さらに言えば運を左右するものとなります。繋がってはいけない人と繋がると、本当に面倒なことが起こったりします。
本当にその人が好きか?良くなってほしいか?
例えば、ビジネスの時、人を利用して登っていこうとする人がいます。
時間がかかることが嫌で、結果を出すのにスピードにこだわり、結果が出ないと、すぐに矛先を変えるか、やめてしまう。自分でコツコツすることを避け、コツコツやって成功してきた人の知名度を使って簡単に、成功を手に入れようとする人。
一方、自らコツコツと積み上げ、自己投資をして、ノウハウやスキルへの対価を支払って、自分のものにするために勉強し、成功を手に入れる。さらには、自分と関わる人々を成功させたい、豊かになって欲しいと考え、自らを差し出す人。
損得勘定で、誰と付き合うか?付き合わないかを決める人は、同じく損得勘定するような人々が集まってきます。
ビジネスにおいて、誰と一緒にいると得とか、売れるとか、そんなことを考える前に、本当にその人が好きかどうか?または、何も利益がなかったとしてもその人といると心地いいか?そこを判断材料にしたほうが、後々面倒な問題に巻き込まれなくて済みます。
ビジネスだけではなく、人間関係も同じです。与える人は与えられる人であり、人を利用しようとする人は利用され、人から奪おうとする人は奪われるのです。
類友の法則はいかなる時も働く
私は面倒な人が嫌いです。面倒な人とは、竹を割ったかのようなスッキリとした後腐れない人・・・と、間逆な人のこと。
終わったこといつまでも蒸し返す人、物事を複雑にしてくる人、去る者を追って追って追いまくる人、さらに去った人の悪口を言ったり、誹謗中傷をして、その人の評価を下げることで自分を正当化しようとする人。
それと、他者から聞いたことを自分で調べもしないで、思考停止して、何でもかんでも鵜呑みする人にも気をつけたいところです。
実は、9割以上の人々が第三者でありながら、誰かから、あたかも真実のように話された嘘を、鵜呑みにしたり、歪んだフィルターで対象物、対象者を見るものです。
私の人間関係においての価値観ですが、自分の仲のいい人、または知り合いが、自分の価値観と相反する人と仲が良かった場合、その友達とも距離を置くこともあります。
ある意味、他の人には理解しがたい価値観かもしれませんね。「その友達には、友達の価値観があるでしょ?その嫌いな人とは違うから」と言いたくなるかと思います。
ですが、私はそうは思いません。類友の法則は、いかなるときもどんな状況でも働くからです。つまり、仲がいい人は、似た者同士だから。表面化していなくても、どこかは似ている、どこかは同じなのです。
一緒にいて「なんか違う」と思った時、それは言語化できない何かの場合もあるでしょうし、モヤモヤだったりするかもしれません。
私の場合は、3つ、または3回「おかしい」と感じた時に、その人との関係を考慮します。たった1つの要素では、こちらの感覚が間違っている、ということもありますから。
3つのシンクロがあったときには、それはただの偶然の域を超えている、というのが私が採用している判断基準です。
人と繋がることや仲良くなることよりも、その人と縁を切る、または切れてしまうのは、繋がるよりも大変で、面倒なことですからね。
袖触れ合うも他生の縁
「袖触れ合うも他生の縁」という仏教の言葉があります。他生の縁というのは、前世での因縁(いんねん)のことを言うそうです。
例え、その相手が自分にとってあまりよくない相手だったとしても、今生で出会ったのは、やはり因縁。何かお互いに学びがあったのだと。離婚にしろ、友人関係の離別にしろ、やはりご縁がありそこからたくさんのことを学ぶことができ、感謝の対象になる、ということ。
人との別れは大変なことがほとんど。それでも、 感謝で終わらすことができたら、次の出会いもまた、大きな学びがあることでしょう。