生きづらさや迷走もまた人生の中で必要なこと
生きづらさ、迷走の先にある境地
11月も下旬に差し掛かろうとし、めっきり寒くなりましたね(秋を体感できてないような・・・)。皆さん、体調は崩されていませんか?
本日の記事は「生きづらさ」について。「生きるって、しんどい・・・」と、生きていれば誰もが思ったことがあるかもしれません。
なぜなら、そういう問題や生きづらさ、迷走、それらを経験しないと、たどり着かない境地があるからです。さて、どこにたどり着くのか?それは誰にもわかりません。
ですが、前述したそれらを越えた時に、自分を愛することの大切さ(それがわかると他人をも愛せる)や、なぜ、自分の目の前に問題が起きるのか?や、直面する問題の乗り越え方、そして、宇宙の仕組み、など。
すべてが実は、愛であり、自由であり、何でもできる存在であり、その法則の下に人間が存在していることを認識するところにたどり着くようになります。
3歩進んで2歩下がりながらも、進んでは戻り、乗り越えられたと思ったら、また似たようなことに直面し、それでもさらに乗り越えられた時に、どんどん自分の生きる上での必要なことや、愛と、優しさと、自他共に満たすことなど。
いい意味でもっとわがままに、もっと自由に、もっと何かを望んでもいいのだ、ということを学ぶのかもしれません。
満たされると「ただ在る」だけで幸せ
しかし不思議で、自他共に愛に、優しさに満たされ到達すると、だんだん望みすらなくなっていくのです。
もう、外的要因で満たすことが必要ではなくなっていくから。美食も、ブランド物も、海外旅行も、別に興味がなくなっていきます。
それはただ、「自分がこの宇宙に在る」ことを楽しむことができるのです。
そういう境地には到達したいようで、心の片隅では「まだ到達したくない、まだまだ煩悩のままに生きたい」とも思うのですが、人は皆、結局そこに向かって行くのだろうと。
生きているうちにたどり着く人もいれば、たどり着かない人もいらっしゃるでしょう。以前アメブロに、「私が思う、本当にすごい人」という記事を書いたことがありますが、きっとそのような人はそこにたどり着いているのでしょうね。
その「すごい人」というのは、別に容姿が美しいわけでもなく、お金持ちでもありませんし、特別何か目立った立場にあるわけでもないのですが、大抵の場合、周りの人たちのサポート的な働きをひっそりと行っています。
そうひっそりと個人レベルで、先生なんて呼ばれる立場でもありません。注目される事も、誰かの上に立つことも望まず、「ひっそり」を望んでいます。
本当にすごい人というのは
本当にすごい人というのは、普通の人間の皮をかぶっていますが、実はかなりの霊性の持ち主です。
霊性と言うと、うさん臭く聞こえるかもしれませんが、何事に置いても、達観しているのか、悟り切っているのか、周りに振り回されず、愛と慈悲の心で物事を見ています。
かつ、自分のことも足もとをすくわれぬよういつも自分を戒めているような人です。それは、自己否定とは違います。
そういう人は、自分が目立つところにいくとか、お金持ちになるとかには全く興味がなく、身近な人々に愛を発信し、別の誰かや何かを担っている人、多くの人々を引っ張って行くような人をサポートする側にいたりして、自分のミッションを理解しています。
見えることがすごいのではなく、霊感があることがすごいのではなく、そういう人には、人間性がちゃんと備わっています。
ユーモアもあり、あたたかく、顔が福の神のようで、私の周りに居たそのようなすごい人は男性も女性もふっくらした人が多く、これまでに何人か出会ったことがあります。
そして、そういう人を見ると、「あぁ、まだまだだな。やっぱり、人として成長していきたいな」と思います。
「知っている」と思ったら成長はなし
話しが脱線したので、元に戻します。
迷走しているその渦中はつらいと思いますが、迷走というのは、迷いながらも行き着く所を探している状態です。
探しているわけですから、生きる上での必要なことを吸収しようとアンテナが立っています。だから、自分に必要な情報をキャッチするのに長けていて、成長していくのです。
「自分は間違っていない、自分は正しい、自分は何でも知っている」と思った途端、何も入ってきません。常に自分の中に、いい意味での空白(欠乏感ではない)があれば、そこはいずれ情報が入ってくることになります。
もう、「自分は知っている」と思った時点で成長が止まります。でも、自分が本当に知った状態だったら、もう生きていないんですけどね。お役目終わってあちらの世界に行っているはずです。
「成長」という言葉は、私の人生の中で何度も出てくる重要なキーワードの1つです。きっと成長しなければならないのではなく、成長したいのでしょうね。成長した先にある場所にたどり着くために。
今日はすこし抽象的な記事になってしまいましたが、抽象的な記事は、実は、あなたの中に、あるものが写し出されてきます。
人によってそれは違うのですが、すべては投影です。あなたの中から、何か掘り起こされたら幸いです。