アドバイスの極意~押し付けにならないために~
人はアドバイスしたがり屋である
さて、本日の記事は「アドバイス」について。
ある二人の人がいて、二人とも同じようなことを言うのに、ある人のアドバイスは心に染み入り、ある人のアドバイスは反発したくなる。こんな経験ありませんか?
私たちは、無意識に人を判断している生き物で、特にアドバイスなどは、人によって受け入れられる人と受け入れられない人がいるものです。
そして、自分がアドバイスを他人様にするときには、お相手にとってどちらの存在かはまったくわからない状態なわけで。
ある方の経験談なのですが、コーチングでは「答えは自分の中にある」というのが基本であり、その方は「その意味がどういうことかわかったような気がする」と言っていました。
ある日、同僚の女性がいろいろと悩みを相談して来たときに、その方は、相談してきたのだから・・・と思ってそれに関する解決策やらアドバイスやらいろいろと伝えたところ、どんどんその女性の顔色が思わしくなくなっていったと(笑)
悩みを相談してきたのだから、解決方法やアドバイスが欲しいのかと思っていたのに、その女性の顔色がどんどん悪くなっていくことを、不思議に思ったそうです。
人は基本的に、アドバイスをしたがり屋です。しかし、この状況はまさにその女性の中に「答えはある」ので、人のアドバイスは必要ないのです。
相談というだけで、ただただ、聞いてほしかっただけだったのでしょう。
「アドバイスしない」というコーチのあり方
コーチングでは基本的にアドバイスをしません。
アドバイスはその人のためを思っていう言葉でも、それが余計なお世話の場合もありますし、先にアドバイスすることで、その人から人生の学びを取り去ってしまう場合もあります。
コーチングのコーチのあり方としては、クライアントの決定に犯罪性がない限り、やめさせようとしたり、「それは失敗するよ」と言ってやめさせたり、考えを変えさせようなどということは絶対にしません。
このあり方は、コーチとしてはあってはならないこと。たとえ、コーチの経験上であったり、ほとんどのケースで失敗するとわかっていてもです。
なぜなら、それはクライアントが考えて、自ら選択し、そして、決定して行動しようとしているから。
99%だめでも1%くらいの可能性はあるわけですから。そしてクライアントがその1%に入る可能性すら信じているのです。
自分の感情と相手の感情は別だから
さて、あなたは聞かれてもいないアドバイスをしたがり屋さんでしょうか?
お相手がそれを訊いている、訊いていないとかかかわりなく、自分がやっていること、やっていないこと、こだわっていること、知っていること・・・などなど、人にわかちたくなるものです。
アドバイスをする動機は大抵の場合、いいわけです。相手にもよくなって欲しい、という感情が働いている場合が多いので。
しかし、これはその人自身の感情であって、お相手はそのことに関して、どう感じているかなんて、わかりません。わからない状態でこちらのアドバイスを与えた結果、押し付けられたと捉えられてしまっても、しょうがないことがあります。
しかし、中には求められてもいないアドバイスでも、「聞いてよかった!」と思うこともあるのも確かです。
コーチングでも全くアドバイスをしないわけではありませんし、時に一つの情報として与えることもあります。そんなとき、相手が受け取りやすくする方法もあります。
枕詞(まくらことば)のワンクッション
アドバイスや伝えたいことを相手が受け取りやすくする方法、それは、言う前にひとこと、枕詞(まくらことば)を入れること、です。
「その件に関して一つ情報をお伝えしてもいいですか?」
「私も同じ経験あるんだけど、話してもいい?」
それを言われたらお相手は、「いいよ」って言うに決まっているのですが、それでも、急に聞いてもいないアドバイスをあーだ、こーだ言われるよりはずっと、受け取る心の準備もできるものです。
そして、アドバイスの注意点としては、「○○したほうがいいよ!」とか「絶対にこうだよ」などのように、それがすべての答えであるかのように押し付けがましく言わないことです。
当たり前と言えば、当たり前ですね。
「こういう方法もあるよ」
「こんな情報もあるけど、すべての人に当てはまるとは言えないけど…」
「○○さんの場合はどうかわからないけど、私の場合はよかったんだよね」
などのように、受け取るも受け取らないも自由だよ、という逃げ道も一緒に与えてあげると、押しつけがましくなくなります。
自分の価値観は自分のもの
いかがでしたでしょうか。せっかく「相手のために」と思っても、それを必要としていない相手では、相手にとっても自分にとってもいい効果は生まれません。
世の中「絶対こうだ!」の絶対なんて何もありませんからね。その辺は、頭と心を柔軟にしておきたいものです。
自分の価値観は自分だけのものであり、人の価値観の形成に責任はないし、変えようともしなくてもいいのですから。