「あるがまま」ってわがままに生きていいの?

「あるがまま」ってわがままに生きていいの?

「やりたいことはやる」の勘違い

「やりたいことは全部やる!自分の人生」。2010年から掲げている、私のスローガンです。とはいえ、ルールは無視、他人様に迷惑をかけていい、人の気持ちも無視、法を犯そうが、何だろうが、倫理的なことなど関係ないから、やりたいことはやる・・・

なんて、捉える人はいないとは思うのですが、ごくたまに、時々、そう取られてしまう行動をする、「あるがままは、わがままやってもいいんだよ」と捉えてしまう人も多く、少し懸念しております。

思考力が停止した状態だと、言葉をそのまま鵜呑みにして、発信者がどういう意図で言っているかの真意を読めなくなっている、もしくは、真偽がわからない。「しっかり、自分の頭で考えよう!」と、言いたくなることも多々あります。

何でもできて、何にでもなれて、やりたい放題で、他人様に迷惑かけようが、他人が苦しもうが、好きなことだったらやれ!というのであれば、この三次元に生まれてくる必要なんてないのです。私たちはそういう制限が課された中で、自由を得ているのですから。

この世に生かされている意味

例えば、性的衝動というのがありますね。だからと言って、通りがかりの人を捕まえて無理やり・・・というのは犯罪です。極端な例えでしょうか?実際にありますよね。そういう犯罪も。

階段登っている時に、上にいる人のスカートの中を見たくなった、だから、盗撮する、「やりたいこと」だからやった。夫がいて子供がいて、お腹を空かした乳飲み子を放置してでも、不倫相手に会いたいから会いに行く。それが「やりたいこと」だから・・・。それじゃ本能だけで生きている動物と変わりません。

私たちはこの世で何かしらの「責任」というものがあって、自分の責任を果たすこと、そしてそういう一種の不自由に見える環境の中でも、自分のやりたいこと、そして理性を働かせることなどを、この三次元で生かされ、学んでいるのです。

「やりたいことは、他人の迷惑なんて考えないでやろう!」発信者はまさかそういう意図で言ってはいないと思いますが、読み手もしっかり思考を働かせ、識別することが必要になってくるのです。

責任は自分にある、だから・・・

理解はもちろん読み手に任されているとはいえども、「あるがまま」や「やりたいことをやる」「楽しく生きる!」をなぜか、「自分勝手に生きる!」と誤解されてる人が多いように感じます。

厳しいことを申しますが、責任は発信者ではなくて、受け取った側にあります。だから思考力を働かせる必要がある。私の「思考停止にならないで」のメッセージは、こういったためなのです。

数ヶ月前に、読者様かわかりませんが、こんなメッセージをいただきました。「やりたいことを全部やろう、ということは、やりたいことをやる時に、子供がいてできない場合、子供を捨てて、やりたいことを優先していいってことですよね?」

もう、めまいがしました。捨ててもいいわけないでしょ?そんな簡単なことさえも、わからなくなっていることに驚きを隠せませんでした。その方は、「あるブログを読んで」とありましたが、あるがままでいい=わがままでいい。そういう内容が一人歩き、そのうち暴走していて、世界が違った方向に行ってるような気がします。

例えば、「お金は使えば使うほど入ってくる」と誰かが発信したとして、そのまま鵜呑みにして、どんどん後先考えず使うかもしれません。結末はどうなるか、入ってこないのにどんどん使ったら、お金は無くなる。小学生でもわかること。

地に足をつけた現実的な生き方が大切とは、よく言ったものです。しかし、それは小学生でもわかるような普通の事柄であるのです。

本当の自由って

あるがままの人生を生きるというのは、「他人様に迷惑をかけてもいいので、好き勝手に生きる」という意味ではありません。私たち人間は自由です。しかし、その自由は約束事、法則、ルールの中での、制限のある自由なのです。

「人様に迷惑をかけないで生きる」というのは、謙虚な気持ちを持つ日本人の美しき特質かもしれませんが、それでも、結局、私たちは迷惑をかけようと思っていなくても、迷惑をかけながら生きています。

それなら、もっとかけていいわけではなく、自分も人を許す態度や、意識的に人様に迷惑になるようなことをしない生き方が必要かな、と思うのです。

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