お互いにある「心の声」を大切にしよう
あなたと相手の「感じる」は違うこともある
ブルース・リー主演の有名映画「燃えよドラゴン」。作中で出てくる台詞「Don’t think! Feel.(考えるな!感じろ)」。
みんなが関心を持ち、もてはやされているようなことであっても、時々「なんか違うな~嫌だな~」と感じることありませんか?人気のある誰かであったとしても、なんか違和感があるとか。私はしょっちゅうあります(笑)
しかし、誰かが何かを「好き」って言っているのに、「私は嫌い」と言わなくていいし、誰かが何かを「気に入った」って言っているなら、わざわざ、「そんなものにお金を払ったの?」って言わなくていい。
それを張本人に言うべきことではありません。相手はそれを「いい」と思っているのですから。
「本当のことだから言ってもいいでしょ?」と、たまに思いやりに欠けたことを言う人もいるかもしれません。そこは、「言いたい」という気持ちをちょっぴり我慢して、ゴクリと飲み込むことが必要です。
自分の感情に正直になるのは大切なこと。しかしなんでもかんでもその感情を口に出せばいいというものではありません。いい気分の人が、相手の何気ない一言、そして、正直な感想一言で、楽しかったこと、気分の良かったことが一気に台無しなる可能性もあるのです。
わざわざ言わなくてもいいこと
数年前に、上記のことを絵にかいたようなエピソードがありましてね。
友人は、すごく優しいお嬢様で、紅茶が大好き。そして、バラとか小花柄のティーカップが大好き。彼女のところに遊びに行くと、いつもうれしそうに、紅茶やカップの説明をしながら、美味しい紅茶を入れてくれました。
当時の私は、紅茶に関してまったくの無知だったのだけど、彼女が好きなものを語る表情も、選ぶ言葉たちも、そしてその日チョイスしてくれるティーカップと紅茶もすごく素敵で好きでした。
しかし、そこへ水を差すかのように彼女のお母さんが「なんでこんなものが好きなのかしら。私はこういうの、好きじゃない」。そう言い放った途端、彼女の顔が一瞬にして曇り、悲しい表情に変わってしまって。
その場を見ていたお父さんが我慢に耐えきれず、「どうしてお前は娘が好きなものを否定するんだ!娘が好きだと言っているなら、それでいいじゃないか!」。お父さんは、客の前で叱るような人ではないのですが、我慢がならなかったのでしょう。
お父さんの言葉は本当にそう。好みは千差万別で、好きと嫌いは理解ができないこともあるかもしれませんが、相手にわざわざ伝えなくてもいいことがあります。自分で思う分にとどめておけばいいのです。
「なんか嫌」=潜在意識の警報
自分の正直な思いを相手に伝える時は、配慮と注意が必要です。しかし、あなた自身にとっては「なんか嫌だ」という心の声はとても大切。スルーをしないでください。
それは、感情の声でもありますが、「不快感」という名の自分をガードしてくれる、潜在意識からの警報です。
日本人は、周りの目を気にしすぎる傾向があり、人と違うことを恐れます。不快感や心の声を無視して、周りに合わせたりしてみると、痛い目にあったり、無駄に時間をとられてしまったり・・・。
この「なんか嫌」という感覚、なかなか人に言えないものです。しかし、この「嫌だ」の感覚が友達とマッチしていたりすると、意気投合しやすく、そして、さらに一歩絆が深まる感覚になります。
「嫌い」という感覚が似ている人は、本当によく似た者同士。なぜなら人は、「不快」を避けて生活している生き物だからです。
「好き」よりも「嫌い」が合うとうまくいく
心地いい人間関係を築きたいと思うのなら、好きなことが似ている人よりも、嫌いなことが似ている人の方が心地よい関係を築いていけます。
「好き」が似ている同志は同じ話題で盛り上がるけれど、もし「嫌い」のツボが全く違っていたら、その地雷を踏んでしまった時に、不快感が極まりなく、一瞬にして関係は終わってしまうでしょう。
何年も密な関係を続けている人たちを振り返ったら、好きはそれぞれ違うんだけど、「嫌い」のツボがほとんど同じで、この法則は真理であると感じています。
好きが似ている、というのは、表層的な付き合いとして、広く交友をもてます。ですが、この「なんか違う」や「なんか嫌」は、潜在意識から深く共感し合いやすいのです。
相手の心の声の尊重と、自分自身の心の声の尊重、どちらもバランス良く備えて、 関係性を築いていけたら、素晴らしいことですね。