幸せのハードルは低くていい
質問に回答して再認識したもの
幸せのハードルについては、過去にも何度も書いてきましたが、先日メインブログで「リブログ用 自分を知るワーク」という記事を書き、私自身でも回答をしてみました。
答えていくうちに自分が何に価値をおいていて、どんな生活をしているのか?何に幸せを感じているのか?などが明白になり、我ながら興味深く、質問ってやっぱりいいですね。
自分を知るワーク30の質問とは別に、今日のポイントとなる「私って何に贅沢を感じるのか?」その答えは、「コンビニやスーパーでお金を気にしないで物を買えること、読みたい本を書店で(古本ではなくて)買えること」でした。
読者さんからしたら「え?そんなことですか?」と言われそう・・・そして自分でも本当に同じくそう思いました。「え?そこ?」みたいな(笑) 随分と単純で小さなことに喜びを感じているものだな、と。
もちろん、高級ブランドの物や、ラグジュアリーなホテル、グランクラスの新幹線などにも数ミリ程度の喜びも感じますが、それらは私にとって、真に心を満たすものではなく、最高の贅沢は日々の生活にある、ということを再認識しました。
日常の中で小さな幸せを敏感に拾う人は、たくさんの幸せを拾い、何度もその幸せに喜びを感じ、たまに経験するこの上ない幸せには、さらなる喜びを感じるのです。
人間の生きる真の喜びとは
今のお給料は、以前とは比べものになりませんが、かといって散財はしませんし、日常の生活レベルはさほど上がっていません。
もともとそこまで食に興味がない、というのもあるのですが、豪華な食事は年に数回、友人とホテルのディナーでフルコースを食べる程度でいい。それが次なる仕事への意欲に繋がります。
生活レベルをいくら上げても、それらは満足を知りません。なぜなら、物質で満たされる感覚は一過性のものだから。物質で満たされる感覚は一時的で虚しいものであり、次から次へと欲しくなってしまいます。
人間の生きる喜びや真の満足感は、外的要素ではなく、内的要素であり、そして、人間関係から得られるあたたかい感情の交換によるからです。
お金があっても、立派な住まいに住んでいても、高級車に乗っていても、豪華旅行に行っても、ブランド物を購入しても、なんか虚しさが残るのは、物質の波動は粗くて低いからです。それらだけでは満たせないということ。
それよりも喜びや、感謝の感情からの波動は、振動も細かく高いので軽やかです。
その感覚がわからないと、外側を満たそうとしたり、幸せのハードルや生活レベルを上げて、フェイクの満たされ感をずっと追ってしまうのです。
野心も欲望もいいけれど・・・
前章でえらそうに書いている私ですが、若かりし頃はブランド物が好きで好きで、でもたくさん買えなくて、物質欲のかたまりみたいなものでした。その時の私は、お金がなくても物質主義者なのですよね。
そして、それらが買えるようになっても、美味しいものを食べても満足感もなく、それよりも、愛する人たちと共に感動やいい感情を味わうことのほうが、より幸せを感じるものだと体感しました。
個人差もありますから、まずは野心を持って、スイートルームを当たり前のようにしてやる!ファーストクラスを当たり前のようにしてやる!すべて高級ブランドの洋服を普段着のように着てやる!も、夢ならばそれを経験するのもいいでしょう。
価値観の違いがありますから、どれが正解か、なんてありませんので。
しかし、内なるところを満たし、真の幸せは身近なところにある、ということに気付くと、より一層、望むものが手に入りやすい状態になります。
幸せのハードルが低いほど幸せになっていく
あと、幸せは「やりがい」というものにもあります。それはそれぞれ何かは違いますが、 もし、あなたのお給料が10倍20倍になったら、どんな生活になると思いますか?
私はまだ一般的なお金を得ていた時、自らにその質問をしましたが、答えは「今とあまり変わらないと思う」と。まさにそう、変わりませんでした。ネットで安くなったものを探して買うこともありますし、会社のお金を無駄遣いしないよう、経費削減も考えます。
もちろん、買う物の値段が高くはなりましたが、買う量が増えるわけでもなく、食生活がガラリと変わるわけでもなく、反対に、いいものを少なく買う癖がつき、家の中は物が少なくなりました。
とはいえ、時々自分に贅沢を与えることは、次なるやる気に繋がります。未来手帳にある、「夢貯金」で溜まったお金をワクワクに使ってみるのもいいですね。
お金はある程度幸せにしてくれるツールであり、可能性を広げるツールでもあります。しかし、それ自体が幸せの理由でないのは誰でもわかっているはずです。
幸せのハードルは低ければ低いほど、人生で幸せを感じる頻度が増え、満たされますし、さらなる望みも叶っていくことでしょう。