街でバッタリ会いたくない人いますか?
会いたくない人いますか?
「街でバッタリ会いたくない人、いますか?」
この質問の意味は、別に、会いたくない人をなくそう!・・・ではなくて、そこからあなたの深層心理を知る、ということにあります。
「会いたくない」という場合、いくつかのパターンがあることでしょう。
その人と会うと面倒くさい、悪いことをしたので気まずい、やましい気持ちがあるので会いたくない、喧嘩別れでムカつくから会いたくない、許せない人だから会いたくない・・・など、いろんなパターンがあるかもしれません。
もし、それが気がかりで前に進めないとしたならば、それを解消することで自分の本心に気づき、前に進めたりする、ということもあるのです。
私にも会いたくない人がいます。理由はすべて「面倒くさいから」だけ、です。
別れの美学
別れに関しては、自分なりの美学があります。それは、別れた相手を誰彼に悪く言わないこと。自分の品位を下げる行為ですから。
もちろん、心許す人にそれを打ち明けることはあっても、公に読まれているSNSや、共通の知っている人に相手の悪口を言うならば、その放った言葉通りのことは、我が身に返ってくることになるので気をつけたいものです。
そして、別れがフェードアウトではない場合は、しっかりお互い話し合って納得してよい形でお別れする、という形を取ってきている(つもり)なので、私自身が会って気まずい人はいません。先方は私に会うのが気まずいと思っている人は多いかもしれませんが(笑)
一般的に、別れた相手のことを悪く言いふらす人も多いので、もし、相手がそういう事をしていたら、やっぱりその別れは正解だった、となるので、それもまたスッキリですがね。
もし、自分が相手に、悪いことをしたので会うのが気まずい、と思っていて、どこかでその事が気がかりすぎて前に進めないなら、相手のためにではなく、自分の今後の人生のために謝ればいいのです。メールでもいいと思います。
相手が許してくれなくてもいいのです。「自分は謝った」という自分の中での納得があれば、あとは相手が自分を無視しようが許してくれまいが関係ありません。
自分の気まずさと気がかりを、人生の中から一つ解消したことになるから。
喧嘩別れで会いたくない、というのは相手を許していないから、相手もそうかも知れませんが、お互い自分の世界に入ってこないのなら、街でバッタリ会っても問題ありませんね。スルーすればいいし、目を合わせなきゃいいのです。
ただ「違った」だけ
私は、この数年間でたくさんの人々とお別れをしてきました。
拙著「別れ」の本にも書きましたが、個人的には別に悪いことだと思っていません。出会いの数ほど別れもあり、別れは、ネクストステージへの前兆であったり、人の成長に帰するものですから。
どうしても日本人は「ご縁を大切に」とか「みんなで仲良く」という刷り込みがされていて、別れに対してネガティブな感情があるかもしれませんが、まったくそんなことはないのです。
どんな縁であっても、それが夫婦であろうが、親兄弟であろうが、何十年の友人関係であろうが、ビジネスパートナーであろうが、縁が切れる時は切れます。
今まで好きだった相手でも、付き合う人で発する周波数が違ってきます。違ってくると無関心になったり、距離を置きたくなったり、はたまた嫌いになるパターンがあるもの。
そうなったからと言って、自分が間違っているのでも、相手が間違っているのでも、悪になったわけでもなく、それはただ違っただけ、なのです。
会いたくない人からあなたの内側を知ろう
さて、最後にもう一度質問します。ノートを用意して書き出してみましょう。
・あなたは会いたくない人いますか?
・はい、の人だけ質問を進めてください。それは誰ですか?それはなぜですか?
・その答えはあなたの人生の中でどれほど重要ですか?
・その人と会いたくない、と思える自分をどう思いますか?
・それを貫き通す自分をどう思いますか?
コーチングの理念でもある「答えはその人の中にある」のとおり、正解、不正解ではなく。あなたの内側にあなたの真実の答えがあるだけです。
こんなふうに質問を進めていきますと、自分の潜在意識の中にある答えが浮き彫りになっていきます。
浮き彫りになると何がいいかと言うと、自分の考えの確認になったり、今後どうしていったらいいのか?調整が必要なのか?そのままでいいかの確認できたり、もしくはスッキリ感を味わえたりするかもしれません。
人生の中で幾多の出会いと別れを経験し、その中で会いたくない人がいても大いに結構!ですが、その感情をただ「嫌だ」で終わらせるより、自己理解や自分の成長に繋げられたらいいですね。