何が人へ美しいと感じさせるのか?
「自然体」という言葉の罠・・
「背が低いのに、無理してハイヒール履いてみっともない。自然体が一番なのに」
「髪染めるなんて体に悪い。年齢を重ねたら白髪もシワもあって当然。自然体が一番美しい」
「年をとれば、垂れるし、ブヨブヨになるかもしれないけど、それが自然の摂理。自然の美しさです」
自然体というのは、ある意味、美の敵かもしれません・・・中には、美に関しては自然体が一番、とおっしゃる方も、当ブログを読んでいらっしゃるかもしれませんね。老化に関しても、自然に任せた美しさがある、と。ここは、美に関する価値観の違いでして、ストイックに努力して手にしている美しさが好きだという人もいれば、シワだらけで、すべてが白髪であってもそれが美しいと思う人もいると思います。
私個人が思うのは、努力の賜物で引き締まった体をしている女性も、白髪、シミ、シワだらけでも、その人の生き方が外見に表れて本質が見える時、非常に美しいと感じることもあります。つまり、どちらにも美しさを感じます。
じゃあ私自身は?と言えば、できれば死ぬまでデニムもハイヒールも履きたいと思っていますし、おそらくすべてが白髪になるまでは、染め続けることでしょう。全部白になったら、それはまた素敵ですよね。今は例え多少体に悪くとも、鏡で見て、「何かいや」と、精神衛生上いい影響がないなら、気分が上がる方が病気になりにくいものです。
自然体の美しさの正体
しかし、自然体のままの人をも、本当に美しく感じることもあります。例えば、数年前ですが「みさおとふくまる」という写真集の、みさおおばあちゃん。なんだか彼女の写真集を見て、涙が出そうなくらい、美しさを感じました。
みさおとふくまる [ 伊原美代子 ]
しかし逆に、外見をどんなに美しく着飾っていても、なぜか美しく見えない人もいます。反対に、みさおおばあちゃんのようなシワしみだらけであっても、美しく感じることも多々あります。それが、内面が外見に反映されている、ということなのです。
内側から滲み出るもの、それはバランスのとれた謙虚さと自信の表れだったり、その自信は、例え自らの姿形が、モデル体型でなくても、自分を認めている気持ち、そして、私心のない笑顔だったり。そういうものが、外見美にとらわれない美しさを表現しているのかもしれませんね。
身体への敬意はありますか?
しかし、あきらめた時に起きる罠もあるのです。ある女性がこうおっしゃってました。「ある一定のラインを超えると、美に関して諦めてしまう」と。そこから、欲望と自然体の方に身を任せていたら太りすぎてしまった。老年になってから、膝の痛みに苦しんだ・・・そんなことも起きるのです。
どこかで自分基準を持って、健康体をキープする、ということは、神様からお借りしているこの身体への敬意でもあると私は思っています。ですから、大切に。
食べるものも、ある程度の運動や、体を酷使し続けないこと、メンタルに負荷をかけすぎないこと、ゆるくではありますが、体という器に関して、完全に諦めることは、自分には許したくないと思っています。
もっと美へのアンテナを張ろう
そして、どうやっても、歳をとればとるほど、心が顔に表れます。
それは40を過ぎたあたりから如実に表面化してきます。私の個人的な経験では、30代ではさほど顔に現れないのですが、40過ぎると、結局心の癖が顔に刻み込まれてきます。だからこそ、美しいものを美しい、と思える、心の美しさは大切。結局全て目の前にあるものは、自分の心の中を表してくれるものだから、わかりやすいのです。
美しい花を見ても、美しい夕焼けを見ても、何も感じない人もいます。美しいものを美しいと思える感受性は若いうちから備わっている場合もありますが、大抵は、年を重ねて、なぜかそうしたものが心に染み入るようになってきます。美しいものを美しいと感動できるその心は、心の美を養うのに必要だと私は思います。
それは、あたかも、容姿が整った、外見美をキープしている人だけを美しいと感じるわけでもなく、自然体のシワだらけの女性が美しく感じるのと同様、ラや芍薬、カサブランカのような立派な大輪だけが美しいのでもなく、道端に生えている雑草や、山に生えているアザミのような花たちからも美しさを拾えるアンテナがあるといいのかな、と思います。
外見は衰えていくのに、なぜか年を重ねれば重ねるほど、輝いている女性、愛情に満ち溢れた人になれたら、それは外見がどんなであったとしても、美しい女性に見えるのでしょうね。
女性と美しさって、切っても切れない関係です。諦めそうになる美。忘れそうになる美。そして、通り過ぎてしまいそうになる、自分の存在する世界にある「美しいものたち」。もっともっとアンテナを張っていこうと思います。