徳のある人生を歩もう
今こそ見つめなおす「徳」
今日は「徳」について。皆さんは「徳」と聞いて、どんなことをイメージするでしょうか?
徳というものをテーマを考えたとき、キレイごとになりがちではありますが、今の時代、ふたたび人としての基本に戻ることが必要な時に来ているような気がします。
徳にはいくつか意味があるのですが、一つ目は「修養によって得た、自らを高め、他を感化する精神的能力 」という意味。修養とありますから、自らそれを学び、磨き、人格を高めるよう努力するもの。徳は努力によって身につける事ができるものである、ということです。
もう一つは「身に備わっている能力。天性 」という意味。本能的にもともと人間が持っている特質の事でもあります。もしくはあなたの中にすでに備わっている、徳ある資質のことでもあります。
この辞書の意味を見たとき、一つの聖書の格言を思い出しました。それは「人は神の像(かたち)に造られている」という言葉。
ここで言う像(かたち)とは、特質のことをさします。神の特質は、愛であり公正で あり、力があり、そして知恵がある、ということ。もっと言えば、慈悲深さ、親切な気持ち、優しさや寛容、といった特質ですが、それが人間にも本能的に備わっているのです。
全ての人は、本能的にそういう特質を持ち合わせています。どんなに極悪非道と言われている人でも、必ずそういった良い特質というものがあります。
加えて、自分でも努めて自らを高め、徳を積んでいき、自己を成長させる、いつの時代も人々は「よくなりたい、よく生きたい、人として・・・」という部分に人生の充実感を感じているのです。
できることから実践と継続の繰り返し
しかし、私たちは、歴史上の偉大な人や、人間としても波動が高く、マスターと言われるような人物像を、最初から目指せるわけではありません。それはあまりにもハードルが高すぎます。それよりも、もっと小さな小さな事柄で、できることから実践していくことの方が賢明です。
ここでは世に名を残すような偉業を目指すということではなく、人から賞賛されるような生き方を追及することでも、事の大小でもなくて、ただ「実践」と「継続」の繰り返しです。
現代の傾向として、人は大切な目に見えないものよりも、目に見えるものに価値を置くようになり、人はどんどん利己的になっていき、いじめや、我先に人より上に上がること、競争社会で勝たなきゃ意味がない、そんな時代にどんどん向かっていきました。
これは、ある意味で、時代的二極に向かっていくことになりました。「極」というのは、 両極の極ですが、これ以上ない状態、極み、最大限に偏った状態を指します。
世の中の仕組みと いうのは、極に偏ると、今後は逆にふれるという法則があります。
時代の変化から見る「徳」
前述の、人間性が失われた時代が極限に達し、転換したポイント、それが 3.11 の大震災になった可能性があります。
なぜなら、その震災をキッカケにして、日本中が「絆」や「がんばろう東北」という言葉を掲げて、人と人とのつながり、協調性、調和、思いやり、優しさ、愛など によって包まれたからです。
あれから11年。当時のことを通して、今までの生き方に何も疑問を感じなかった人でさえも、目に見えるものが 幸せの源泉なのではなく、自分の生き方で幸せを手にしていく、つまり人間の本質に気づき始めました。
そこが「徳」ではないかと私は思うのです。
時代とは一気に変わるものではなく、十年、二十年というスパンをかけて変化していくもの。令和という時代は、競争の価値、財や有形への価値から、協調性や調和、共創といった、目には見えないものに価値を感じる時代に変化し続けています。
そして、人の意識というのは、変化の時には、二極化します。私たちが子供のころに抱いていた初心に戻ることが、徳を積むことにつながるのです。いま一度、子どもの頃に親になんて教えられたか思い出してみましょう。
「近所の人に会ったら元気にあいさつすること」
「ウソをつかないこと」
「人様のものを盗まないこと」
「自分がやられて嫌なことは人にもしないこと」
「人の悪口を言わないこと」
いつからか、私たちはこの教えを忘れてしまっていないでしょうか?
徳のある人生を歩もう
例えば、盗みはしていません、と言って いても、文字通り盗んでいなくても、会社の勤務時間であろう時間を、私用に使うこと、サボ ること、会社の備品を黙って我が物のように使うこと、そんなこともある意味、盗みになるかもしれません。
待ち合わせして、時間にいつもいつも遅れている人は他の人の時間をいつも奪っています。それを「大したことではない」と思っていませんか?こういう小さなことにどれだけ目をとめ、実行していくか、です。
これが徳を積むこととも関係があるのです。小さな一日一善や、他の人の幸せを祈る気持ち、温かい心、譲り合う心。小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実になれます。
日々の中で小さな徳を積むことにもなり、誰が見ていなくても、陰ながら良いことが、習慣的に行えるようになっていくでしょう。
徳のある人生というのは、人間として、とても美しいことなのです。