嫌われるのはメリット!
嫌いや不快=周波数の違いなだけ
さて、今日のテーマは嫌われるメリットについて。一般的には人は嫌われることを恐れる、嫌われたくないと思っている人が多いのではないでしょうか。
私は、大人になってから色んな勉強をしていますが、エネルギー、周波数、音、波動などの振動療法について学んだ時期がありました。
学べば学ぶほど、ミクロの世界ってすごいということ、そしてエネルギーってすごいなと・・・感動するばかりです。
エネルギーと関係する点ですが、人はエネルギー体でもあり、それぞれ特有の周波数を発しています。感情でその周波数は変わることもありますし、身を置く場所でも自分の周波数は変わってきます。
人ぞれぞれ発する周波数の違いがあり、心地いいと感じる人と、何かこの人って嫌な感じがする、という風に無意識レベルでちゃんとキャッチしているのです。
ブログも私だけが書いているのではなくて、いまや誰でも同じようなことを書いていて、この手の自己啓発の内容を発信しているのは溢れかえっていますね。
しかしながら、内容はほぼ同じであっても、なぜか、心に入ってくる文章とそうではない文章があることを皆さんも感じていらっしゃることでしょう。
それは、発信している人と受取手である読者の周波数が似ている場合、共鳴し合っているわけで、あなたが、合わない人と思っている人は、周波数が違いますから、内容も入ってきません。
この周波数の違いをザクっと把握して頂いた上で、やっと本題に入りますが、嫌われる、というのはどんなメリットがあるでしょうか?
嫌われると似た者同士だけが残る
あなたを嫌いな人はというのは上記の原理で言うと、あなたの周波数と合わない、あなたのエネルギーとは違うだけ。感情でもそれは変わるので、違う人と一緒に居ると違和感が出てきます。不協和音というものです。
ですから、その人といると居心地が悪く感じます。あなたが嫌いだと感じる人は、おそらくその人もあなたが嫌いでしょう。嫌いとまではいかなくても苦手というのも同じです。
反対にあなたのことを嫌いな人がいたら、あなたもその人も居心地の悪さを感じます。周波数が違うものは一緒に居る事はないので、そのうちお互いが離れていくでしょう。
ということは、嫌われれば嫌われるほど、あなたの周りからは、あなたの周波数と合わない人はどんどんいなくなります。ということは・・・
似た者同士だけが残るということです。おめでとうございます!!!
しかし、誰彼にものすごくいい人を演じてやっていますと、その違った周波数をキャッチできない人も出てきます。
敏感な人は、いい人を演じている人を見ると、「なんか違和感を感じる」と思って離れるかもしれませんが、鈍い人は、あなたの近くにずっと居続け、あなたはその嫌いな人と付き合って行かなければならないのです。
嫌われれば嫌われるほど、あなたの周りからは、あなたが嫌いな人、違和感を感じる人、苦手な人はいなくなっていきます。
本当の素の自分でいることの大切さ
しかし、それでもそういう苦手な人や嫌いな人にでも、礼節を持って接したいですね。嫌なことをする人に対して、あなたまでその人と同じように成り下がる必要はありませんが、対応は丁寧に、時に言うべき事はしっかり伝えることも必要です。
人とのご縁を大切にするのも結構ですが、ただ、あなたをいつも不快な気持ちにさせる人と、無理してずっと付き合う必要なんてありません。
上手に距離を置く選択もできますし、合わない人とはそのうち、必ずや距離を置くようになることでしょう。
そうなるためにも、本当の素の自分でいること、自分の感情を見ないふりしないこと、迎合しないこと、自分の意志をちゃんと伝えられる人になること。そんなことをしていますと、あなたの周りには、心地よい人々だけが残っていきます。
1つお伝えしたいこととして、苦手な相手、嫌いな相手でも、相手の周波数に合わせよい関係を培う事はできます。
なぜなら、人間に本当の悪人はいないからです。その人の良い資質を引き出すことができる器のある人なら、そういう相手でも良い関係になることはできたりするもの。
結論は、どちらでもいい、自分が選択したい方でいいのですよ。
人生の中での学びは、勉強ばかりでなくて、人間関係やお金、社会など、そういうことで得た経験で成長していくのでしょうね。
甘んじて受け入れるとうまくいく
時には「神様、もう勘弁してください・・・」と、言いたくなる事もありますが、甘んじて受け入れると案外うまくいったり、受け入れるその姿勢が、苦しさを和らげてくれることもあるのだと、この年になってやっとわかってきました。
年を重ねてから分かる事が多く、若い頃の自分は、ずいぶんと高慢だったのだな、と今思います。私もまだまだ勉強の身、頭の勉強以外でも強制的に学ばせられている日々です。
年を取り、かたくなになり頑固にならないためにも、もっと柔軟に生きて行こうと思うワタナベなのでした。