本当の幸せの見つけ方~幸せはすぐそばにある~
日常は平凡でつまらないもの?
日常の何気ない出来事や平凡なことというのは、一見つまらなそうに見えますが、実はそれらに感動や学び、そして、人生の重要なことが収められています。
置かれた状況、立場、目の前にあること・・・そこを味わい尽くしてからでないと次にはいけません。
というか、次に行かなくてもそこに幸せを感じて、その状況を大切にして過ごす、というのも立派な生き方だと思います。これは母の一生を見てそう思いました。
田舎で生まれて、田舎で一生を過ごす。お金持ちではなかったですが、与える精神があり、他の人の優しく分け隔てなく人に接し、何ひとつ目立つことなく、日本からも一歩も出たことがなく、平均寿命も全うせず亡くなりました。
その生き様を見て、初めて母を偉大に感じ、尊敬し、立派な生き方だったな、と。
人は何か変わりたい、変わらねば、という意識がどこかにあるのか、今のままではいけない、とも思いがちです。SNSの普及で他人が輝いて見えたり、海外旅行や美味しそうな食事、パーティ、高級ホテル、ブランド物に囲まれ・・・そんな姿を目にするようになってから特に、そういった傾向が見受けられます。
となりの芝生は、青く見えるどころか、なにもかもきらびやかに見えて、自分がダメ人間に思えたり、くだらない人生だ、と思ってしまう人もいます。
あなたの一番大切なものは何ですか?
しかし、私が伝えたいことは、今ある環境や生活の中にこそ、あなたにとっての宝物や大切な何かがあるよ、ということ。
何か刺激的なことがなければ輝けない、と言わんばかりの非日常的なことにばかり意識が向いてしまうと、真の幸福は見えなくなります。
いま置かれた環境と、生活の中にある何かに目を留めてみてください。本当に必要なものも大切なものも、実はもうすでに自分の手の中にあることに気づけるはずです。
そして、人生の中での最高の学びも気付きも、どこかにお金を支払ってわざわざ学びに行かなくても、日常生活の中に、ゴロゴロと転がっていて、アンテナを立てていることでそれらをキャッチできます。
「あなたの一番大切なものは何ですか?」この質問に答えた時に、たいていの人はその大切なものをすでに持っているものです。
物質に真の幸せはない
私の昔は金銭的に底辺で生きてきました。別にきらびやかな世界に入りたいとは思っていませんが、いまはそこをある程度覗くことはできました。
しかし、やはり私の幸せはそこにはなく、日々の生活で得ているものこそが、真の幸せであることを実感しています。
毎日、おいしいご飯を炊く喜びとか、犬と猫とゴロゴロできる時間に無常の喜びを感じたりとか、愛する人たちとの談笑が永遠に続けばいいのにとか。
しかし、多くの人は、そういった平凡な生活、そして人生はつまらないように見えるのでしょう。それよりも、キラキラした、ラグジュアリーな生き方に憧れを感じている人も多いかもしれませんね。
もちろん、お金は生活する上で必要で、ないよりはあった方がいろんな意味で可能性が広がりますから、あるに越したことはなく、金銭的な豊かさを求めるのは良いことですし、そして誰しもが可能です。
しかし、そこに大きな幸せがあるかも!という、変な期待は持たないことです。
物質主義(お金や物)と幸福感については、心理学者や脳科学者たちの研究結果も多数あるようですが、どの研究結果にも結論は出ています。
物質では幸福の持続性はない、と。
結局、幸せは脳内物質の仕業ですから、欲しいものを手に入れたときには、脳内ではドーパミンが出て、ちょっと興奮状態になり、それが満たされたような感覚になるというわけです。
目に見えなくても、そばにある
繰り返しますが、お金を稼ぐことも、物質を買うことも悪いことでもないですし、そこで満たすことも楽しいものです。私も好きですよ、車もハーレーもハイブランドもたまの贅沢も。
しかし、それらの物質で、言葉に表せぬ幸福感に満たされたことはありませんでした。本当の意味での幸せや心を満たすものというのは、物質でも贅沢でもありません。
それは目に見えない、あたたかい愛がベースの人との繋がりや、日々仕事を一生懸命することで得られる充実感、満足感、やりがい・・・
いつの時代も、大切なものは目に見えないものなのです。
目の前にある「当たり前」がなくなったら、それらがいかに大切であったかを感じるかもしれません。しかし、できれば実際になくなる前に、想像力を働かせて、日常に目を留めてみるのはいかがでしょうか?
未来手帳のウィークリーの部分には、「今日のありがとう」を書き留める欄があります。
毎日書いていますと、私の毎日には、こんなにも「ありがとう」が溢れているんだと・・・満たされていく感覚を得られることでしょう。