楽しかったら何だっていい!・・・なのか

楽しかったら何だっていい!・・・なのか

欲望は満たすだけじゃなくて

私たち人間には三大欲求というものが備わっています。食欲、睡眠欲、性欲ですね。

一般的に、欲とか欲望というと、なんとなく良いイメージを持たれないのかもしれませんが、これらは私たちが成長するために備えられたものです。

厳密に言えば欲望と欲求は違うのですが、あえて言うなら、欲望は、終わりがない、天井がないと言った感じでしょうか。欲求は自然のもので満たされて終わることもありますが、欲望は感じ方次第ではいつまでも望むことができます。

そして、その欲望を満たすこともまた、やりがいだったり、生きがいだったりに繋がりますので、とても大切なものです。

人間は欲望を満たすために生まれている、とも言えますが、もっと言えば、その欲望を自分で、自制したり、管理したり、コントロールすることで、自分の成長に帰するための大切なツールでもあります。

それは直感なのか、はたまたエゴなのか

例えば、母親は子供が、ご飯を食べず、アイスクリームだけを欲しがってるからといってそれを許すことはしないでしょう。

大人も同じであって、約束があるけど眠いから行かない、眠い、という自分の睡眠欲を満たしてあげるためにドタキャンすることを選択したとします。それは、心地いい行動なのでしょうか?

その裏で、誰かが困ったり、自分の信用がなくなったりしますが、それも気分がいいことなのでしょうか?

あるブランド物が凄く欲しいという欲望があって、お金がないけれどどうしてもこの欲求を満たしたい。将来の子供のための学費を貯めているけど、なんとかなるから・・・使っちゃえ!と。

その瞬間の物欲を満たすことは、いかがでしょうか?支払わなければならない何かのためのお金を使ってしまうでしょうか?

私たちは、時々、強い感情と欲望、欲求とエゴと直感、潜在意識の声を間違え、エゴの声を、潜在意識からの声と捉えたり、感情的になったことを直感と感じるかもしれません。

しかし、ありがたいことに、私たちには理性が与えられています。

この理性があるからこそ、そして、人間の脳には未来を考える部位もあり、それらを使って、その欲望を叶えたほうがいいのか?それとも、この度は我慢したほうがいいのか?ということを判断するのです。

その判断を下すときは、時間を掛ける場合もありますが、直感で判断して行動に移す場合もあります。 エゴは、利己的で他者との関係性を無視した自分だけの利益を追う決定です。

たとえ、最初に起きた感覚がエゴであれ、潜在意識からの答えであれ、理性があればそれらを見分けることができます。

 良心の声をおろそかにしない

そして私たち人間には、それらを判断するための素晴らしい感覚が備わっています。それは良心です。

心が痛む感覚ですが、良心とは簡単に言うと、自分の中にある裁判官のようなもの。人によっては、心の裁判官は甘かったり、厳しかったりしますね。

しかし、良心はいつも同じ働きをするわけではありません。何度も何度も良心が痛むことをしますと、だんだんと麻痺し、痛まなくなるのです。

たとえば、最初の小さな盗みにはものすごく胸が痛んだとしても、二度目、三度目はどんどん軽くなっていき、しまいには痛まなくなります。

また、甘い裁判官を雇ってる人と交友を持つと、自分の裁判官もチェンジして、道徳心、度外視の生き方をしたり、犯罪スレスレのような生き方を許してしまうこともあります。

だから、自分の最初の良心の声に従うのは大切なこと。人間関係もビジネスも、良心に従って誠実にコツコツやることが、結果うまくいくと思っています。

時代は、直感や潜在意識の声を聞き、その通りに行動することが成功法と謳われています。しかし、その声は本当に直感や潜在意識の声でしょうか?エゴの可能性も大いにあります。

判断材料は、理性的に、または左脳的に、または、計算してもやれそう、リスクも考慮してもGoサインなのか?

成功者は、その一連の思考のプロセスがとんでもなく早く、さらに行動はもっと早いです。だから、理性を使わないで決定しているように見えますが、脳内では高速でやっているのです。

何事も表があれば裏がある

いかがでしたでしょうか。まとめますと、欲望・欲求があるのは生きるため。そして、成長するためです。

喜怒哀楽があるのも同じです。喜びと楽しいが良くて、怒りと哀しみがダメなわけでもありません。陰陽一体、ただの裏表ですから。

そして、それぞれの反対側に気付けるかどうかがとても大切なのです。

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