人間力とは何なのか?
人間力について考える
今日のテーマは「人間力」についてです。このテーマに対して「まず、人間に生まれて生きているだけで人間力があるよね?」と、今でも思っています。
この記事を書くにあたってリサーチをしていた際、人間力についてウィキペディアの掲載を読み、その定義の中に、次のような表現がありました。
人間力戦略研究会の座長であった東京大学教授の市川伸一は「人間力に関する確立された定義は必ずしもないが、本報告では、社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力と定義したい」
自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力
自立は大切です。依存については何度かブログで書きましたが、依存はするほうもされるほうもたいへん息苦しく、軸がなく、ブレたまま生きていくことになるからです。
生きていく上で、人間力を上げる、成長していくというのは非常に大切なことだと思います。
では、人間力とは実際のところどういうことなのでしょうか?
生まれてきた意味
前章の質問の回答は、きっと人それぞれ違うことでしょう。
もし、私が定義をするとしたら、「生きる力」。人として、人間に備わる良き特質を発揮して、幸福に、そして生きがいのある人生を送る力。とします。
わがままに生きることが推奨されている世の中であっても、それでも、私達人間は他者との関係で生きています。全体の調和がなければどこかでエネルギーの歪が起きます。
実際、歪があってもいいでしょう。それを学びとして改善、進歩、進化、変化していくことで、私達人間は成長していくからです。
では、なぜ人は生まれるのでしょうか?
それは「生きるため」とシンプルに答えることができますが、身体が大きくなるのと同じく、見えない部分の思考やメンタル、もしくは魂などは変化して成長するために生まれてきたと言えるかもしれません。
この辺は価値観の違いがありますが、私はそう思っています。
ですから、問題が起きてもいいですし、失敗してもいいのです(学べば結果失敗ではありません)。つまづいてもいいし、歪があってもいいし、転んでもいいし、喧嘩してもいいし、負の感情に覆われて動けなくなってもいい。
どんな負の状況に見えるような出来事に陥っても、それをどうやって乗り越えるのか?そして次回そういうことがあったときに、どう対処できるのか?を、人生の中で学んでいるのです。
枯渇感は成長への意欲
ここでワークも兼ねて、次の質問をします。皆さんがもし、今の自分に点数をつけるとしたら、何点をつけるでしょうか?
ちなみに、私の自己評価はそんなに高くありません。
自分に点数をつけるとしたら、いつも60点くらいです。40点くらい足りない部分がありますと、それは空白ですから、埋めようとします。これが成長への意欲であり、向上心です。
自己否定するより、自己肯定できるほうがいいのですが、しかし、自己評価があまりに高過ぎる人は、思ったほど周りの評価は高くないことが多いです。
少しずつではありますが、成長していることは認め、多少は褒め、そしてまた一生懸命、時にはつらくて涙することもあり、しかし最後はいつもうまくいくようになっており、人生を楽しんでいます。
それは、大したことをやったわけでもすごいことを成し遂げているわけでもなく、ただただ、一歩一歩、コツコツコツコツ。それが現在の私を創っています。
満たされた気持ちと感謝の気持ちをもちながらも、しかしそれで満足しない不足の部分と枯渇感は大いに結構!です。
人生の課題は人間力を養うため
人間力、Manpower、Ability…
いろんな言い方があるかもしれませんが、自立して力強く生きていくための総合的な力を養っていくためにいろんな問題が起きていくのでしょう。
そしてそれらを乗り越えていくたびに、私たちは成長してゆく生き物です。問題がない人はいませんが、問題を大きな問題だ!と捉える人もいますし、問題を学びだと捉える人もいます。
同じ問題ならば、できれば前向きに捉えられるような仕方で乗り越えたほうが力強く立ち向かっていけます。それが「人間力」かなと。
おそらく、自分の中で人間力が今生で最高潮に達するときというのは、あの世に逝くときだと思っています。
日々の問題も課題も、その力を養うために起きているのだ、と捉えて少しずつ成長していきたいものです。
みんなユニークな存在だから
最後に、これも価値観の違いはあるかと思いますが、もし今の自分に対して、人間力がない、自信がない、立ち止まってしまっている・・・という人に贈ります。
「あなたは特別な存在です」と、人を励ます時に、そのような言い方をする人もいますが、私はすこし違いまして
「みんな普通だよ。誰も特別じゃなくて、普通普通!」と 思うのです。
どんなに美人であろうとなかろうと、頭が良くても悪くても、偉人と呼ばれようが、芸能人だろうが、成功者だろうが、莫大な資産があろうが、特別な存在ではありません。
あなたは、特別(スペシャル)というよりも、特異(ユニーク)、そして唯一無二な存在なのですから。