「私は正しい!」それって本当?
不快なこと=相手が間違っているから?
人間関係において、何かトラブルがあった時、たとえ本当に相手が悪い場合でも、自分が不快に思った=「自分が正しい」「相手が悪い!間違っている」という考え方ばかりをしているうちは、なかなか成長はありません。
極論を言えば、良いとか悪いとかの判断は、「見方」と「視点」の分だけあるもので、たった一つの判断基準では、なかなかわからないものなのです。それに、「相手が間違っている」と思った時点で、自分の視点は、非常に狭量になってしまいがち。
「間違っている、悪い」というジャッジが入った途端、それ以外の視点がないものだから、その件に関して何も新しいことが発見できない状態なのです。
私は正しい!が成長を止める
相手が間違っている、と思えることはよくあること。極論、正しいも間違いもないので、すべてのジャッジは自分の脳内で都合の良い変換や理解をしているもの。誰だって自分を守りたいと思うのは自然なこと。
平和主義の人は、「相手が悪い!間違っている」と思っても、それをいちいち言わないかもしれませんし、逆にどうしても相手に言わないと気が済まない性格の人もいて、「自分が正しくて相手が間違っていると分からせたい」と思うのです。
「自分が正しい!」と強く思う時点で、自分を正当化することばかり考えていますから、もう、自分の脳内に新しいことは何も入ってきません。視点が低くて、客観視できないので、成長はそこで止まってしまいます。
そして、相手の気持ちも汲み取ることができなければ、相手との関係も悪くなり、終わる可能性もあります。時には、終わった方がいい場合、関係性もありますけどね。
正義感は大切だけど・・・
私も以前、20代~30代前半までかな、自分の正義を振りかざして、相手が間違っているなら、相手に「あなたは間違っているから!○○だから違うと思う」と言って、自分の小さな自尊心を保ってきたのでしょう。強い正義感は戦いをもたらしてしまいます。しかも、たいていの場合、不毛の戦いです。面倒なこと。どうでもいいことがほとんど。
ところが歳を重ねていきますと、正義を振りかざすことも、エネルギーを使うと学び、そこにエネルギーを使うのは、もったいないなと思うようになり、「負けるが勝ち」ということを学ぶわけです。そもそも勝ち負けはないのですけどね。
それを実践するようになってから、使わないで済んだエネルギーを今は、ビジネスや読者様のこと、自分のことに使えるわけで、メンタルヘルスとしてもすごくいいのです。
エネルギーは使いどころを間違えると、その発したエネルギー通りのことを身に招きます。そこに執着、固執していますと、自分の元に帰ってくるものは、モヤモヤな現実、怒りの事象、そんなことばかりを招くようになります。
ですから、1ミリだって、「そういうエネルギーを使うのは無駄なんだ」と分かると、「負けた方がいい、スルーしよう」と思えます。心の平和と平安を得られますよ。
相手の視点を考えてみよう
何事も一方だけの見方、捉え方をするのでなく、一度「自分が間違っているのかも・・・」という視点を持つ。視点を変えて考えてみるということが大切です。自分が正しいと思っていたとしても、相手の立場という視点に立った時、相手を通した自分とこの問題が見えるわけです。
コーチングやNLPでいう、エンプティ・チェア。目の前に空になった椅子を用意して、そこには、問題となっている相手を座らせ、話したいことを話します。そのあと相手の席に座り、相手の視線を通して、この問題と、相手の視線を通しての自分を見てみる。
すると、最初の「あの人が悪い」というフィルターがスコーンと外れて、その人の気持ちがわかってきたり、別の問題が見えてきたりするものです。
広い視野、高い視点から見えてくるもの
「客観視する」「視点を高く持つ」というのは本当に大切で、狭量だった自分の見方が広い観点、高い観点から見ることができて、状況酌量の余地を考えたり、自分の正しさだけを主張していたら、何の進歩もありません。
子供が何か悪いことをした時に、お母さんは「相手の立場に立って物事を見てみなさい!」と言われるように、大人である私たちもやってみると、穏やかな心になったり、許せる気持ちになったり、人としての成長もあることでしょう。
何かトラブルが起きた時には、怒り奮闘した後でもいいので、「いや待って、もしかしたら・・・」と、視点を変える気持ちを持ち、一旦、自分が正しい、相手が悪い、という視点を外してみましょう。何か違ったものが見えるかもしれませんよ。