批判、否定された・・・あなたはどうする?
批判や非難って何?
人間が生きていく上でよくあること、周りから批判や非難された時に、どう受け止めたらいいのでしょうか?
大抵の人は、批判や非難嫌いますし、自尊心が傷つけられたかのようになり、動揺し、自分を責めたり、相手を責めたり・・・とにかくいつもの自分ではいられなくなったりします。
みなさんは、自分の言動を批判されたときに、どう受け止めますか?本題に入る前に、「批判と非難って何?」というところ、それぞれの意味合いを理解していきましょう。
まず「批判」とは、人や物事の誤った箇所や悪い部分を、根拠を示しながら論理的に指摘し、改善を求めることです。となると、自分の誤りを指摘してくれる、ありがたいことでもあったりするわけです(言い方というものがありますけどね)。
一方「非難」は、相手の過失や欠点、悪い点をあげつらって、感情的に責めたり、馬鹿にしたりすること、とあります。これを踏まえて問題です。
ブログにこんなコメントがあったとします「つまんない記事ですね」。これは、批判でしょうか?非難でしょうか?
答えは、お分かりかと思いますが、非難ですね。つまり、相手が自分に言っていることは、批判か?それとも非難か?を選別をすることによって、少し心が軽くなるかもしれません。
批判、非難に強い人の特徴
さて、それぞれの意味合いを理解した上でも、批判、非難、否定に強い人がいます。それは、本当の意味で自己肯定ができている人です。
本当の意味で自己肯定ができるようになると、他人の批判や否定はさほど気にならなくなります。なぜなら、外部(他者)からの非難否定を受けても、しっかり自分を信じて肯定できているから揺らぎません。
あなたは、下記の文章を読んでどう思いますか?
「人と自分は、育った環境も背景も違い、様々な観念や価値観を抱いている。つまり、人の考えは皆違う、ということ」
きっとみなさん、同意されることでしょう。違う場所で生まれ、環境も背景も違った場所で成長するのだから、違って当たり前ですよね。しかし大切なことは、上記のことを頭で理解しているか、真に理解しているか。これで人の行動はまったく違ってきます。
否定されるたびに、落ち込みすぎたり、逆に相手を攻撃したり、大騒ぎしているのは、自分と他人の価値観や感じ方の違いも理解できていないということ。
「弱い犬ほどよく吠える」は真実で、人間も同じです。
「バカを相手にしている暇はない」
前述の内容で、誤解して欲しくないのですが、聖人君子のように、達観して受け入れよ、怒ってはいけない、がっかりするな、という意味ではありません。腹が立つときは立つし、嫌いなものは嫌いなのです。
人間ですから感情を感じるようにできているもの、ムカ!ってきたり怒ったり、悲しくなったりはしますが、それを後の活動まで影響を受けない、ということ。感情を味わい、受け取った後で「バカを相手にしている暇はない」くらいに思っていいのです。
バカでもアホでも、多少言葉が汚くても、自分を納得させるためや落ち着かせるために思うくらいは自由。そんなに人は立派なもんじゃありません。
この言葉は勝手な解釈ではありますが、自分を落ち着かせる解釈、しかし、そのあとは「人ははみんな違うしね」なんて思えるものです。
自己肯定ができると強い
宇宙やら自然の法則を真に理解している人間は、または、無意識レベルで理解している人は、腹が立ったなどの感情を誰彼に触れ回りません。なぜでしょうか?
それは以前にも書きましたが、出したものが戻って来る、もちろんのこと、もっと大きなエネルギーになる可能性があるのを知っているからです。
発信者が影響力のある人であると、その跳ね返りはさらに大きくなります。発信したエネルギーの受取手が多いのでエネルギー増大、かつ、その情報を受けた人間も嫌な気分になりますね。
本物の成功者はやられっぱなしのケースが多く、その非難や否定のエネルギー増大をそこで止めているのです。本当の意味で、非難に非難で返すと同じ土俵に乗ることになるのを知っているから。
しかし、非難に対してクリティカルな意味合いで反論するのは、個人的には好きです。それぞれの価値観は当然違いますから、その人の考え方を知る上で、代替案を用意した上での批判はありだと思います。ディベートなんかはそうですね。
世で言う成功者たちは、結局目立ってしまい、重箱の隅を突かれるような、非難やら否定を膨大に受けています。しかし、いちいち反論しないのは、品性があるのと、自分のエネルギーを無駄に使いたくないと思うから。そして、それさえも予定通り、だから。
自己肯定できるようになると、周りの意見に一喜一憂しません。成功者だけでなく、本当に自己肯定できている人の特質は、褒め言葉にも批判にもあまり反応しないもの。
本当の意味で周りはどうでもよく、自分が肯定できているからなのです。