それでも人生にイエスと言う

それでも人生にイエスと言う

久々の海外セミナーを終えて

実に7年振りのLAセミナーを終え、日本へ帰ってまいりました。LAでお世話になりました方々、そして日本含め、各地からセミナーにご参加くださった皆様、本当にありがとうございました。

LAセミナー後はセドナへ移動し、目に激しい原始的な山のエネルギーを感じて、もう、何時間でも見ていられる・・・

以前、スピリチュアルな人に、「ワタナベさんは自然に行くとリセットできるから、できるだけ自然へ、特に山に行くように 」と言われたことがありました。

その言葉通り、セドナの赤い大地は、リセットと共に、私に燃えたぎるようなエネルギーをも与えてくれたように感じました。

さて本題、今日のタイトルは、私の好きな本のタイトルからです。第二次世界大戦中のナチス強制収容所の経験者、ヴィクトール・フランクルの著書

「それでも人生にイエスと言う」

私は、このタイトルを読んだだけで、人生のすべてが集約されているように感じます。生きていると色々あるもので、このブログを読んでいらっしゃる方も「生きづらい!」人生の中で一度は誰もが思ったことがあるのではないでしょうか。

人生で起こる出来事はそれを経験したいから

私も例に洩れずそうで、今でも普通にしんどいことがあります。私の願いは、別に贅沢できなくても愛する人と、ただただ静かに暮らすことでした。(ことでした・・・って表現は叶っていないことがバレてしまいますが 笑)

過去も静かとはほど遠く、山あり谷あり、谷も奥底まで転げ落ちて、頭と鼻から血を流しながらも、息するだけで精一杯・・・というような時も多々あり。

しかし、そんな中でも、都度、私が倒れぬよう助けてくれる人が、その時、その時で必ず現れます。一人ではなくて、数人パーっと集まります。

別に、私は誰にも苦しいとかしんどいとか言っていないのに、助けの手が差し伸べられるたびに、その人々への愛と感謝が溢れます。

そして、なんだかんだやっぱり、自分が山やら谷やらを経験したいからしているのだ、ということがわかるのです。

そう、私は頭の中では、静かに暮らしたい、目立たずひっそり、でもお金はたっぷりあると尚よし(笑)みたいな都合のいい理想を思い浮かべていました。

今の私にとって、お金は十分過ぎるくらいですが、私の理想としうる「静か」というのはまだまだ程遠く、魂は、色んなことを経験したがっているようです。


三次元の世界に生まれてきた意味

何にも苦労もせず、何にも努力もせず、何にもしないで思い通りになる人生なんて、本当におもしろいのでしょうか?

時に苦労し、努力し、自分の存在する意味がだんだんわかってきて、自分がいかに大切で愛されている存在なのか、少しずつ経験と学びを通して知っていくことの方が「生きている」と実感できます。

そして、自分よりも少しだけ先を行く人たちが、もしくは、早く人生の意味について思い出した者たちが、それをメッセージとして送っていて、どのくらい自分がそのメッセージを受け取れるか?ということなのでしょうね。

はっきり言って、なんでもできて、神レベルの人であるならば、この三次元の世界に生まれてはいないでしょう。あなたの尊敬しているマスタークラスの人であっても、まだ人間の経験をする必要があった、というわけです。

生まれてきている以上、自分と向き合い、成長し、愛とは何かを模索し、自分を愛し、自分と他の人を許し、自分の生き方を見つめることが必要になってくるのでしょう。

もし、私のブログが何かあなたの心に響くものがあったら、もしくは「なんだよこいつ、嫌い」と思った人もまた同じく、何かがあるのでしょう。

何も気にならない人は、何もないのです。私のことを好きな人も嫌いな人も実は同じ課題だったり、同じ目指すべきことがあったりします。心理学的には、好きも嫌いも同じ部類ですから。

過酷でもつらくても、それでも・・・

時々、コメントなどで、「そんなのきれいごとです」とか「虐待、世界で起きている飢餓や戦争などはどう理解するのですか?」なんて反論を受けますが、言えることはただ一つです。

自分に関係のあることだけ考えて、向き合ってください。

そしてそれらの答えは巷であふれていますし、一応このブログにも書いてあります。自分のこともままならない状態で、世界平和なんて無理です。

正義感は時として、争いをもたらします。「自分が正しい」と言った時点で相手が間違っている、というジャッジが入るから。

私なんて、はっきり言って自分のことで精一杯です。このブログを読んでいる人が、「お金持ちになったらいいな」とか、「もっともっと幸せになったらいいな」と思っていても、私がそうしてあげたい!なんておこがましくて、言えません。

あなたを変える力は、私には持ち合わせていなくて、私自身の山と谷に向き合って乗り越えて、それでも、「あぁ、幸せだ」ということを見せていくことくらいしかできません。

きっとこのブログを読んでいらっしゃる方の中には、しんどい状況の中で当ブログを見つけてくださった方も多いことでしょう。その人々に贈る言葉が、本日のビクトル・フランクルの言葉

「それでも人生にイエスと言う」に集約されています。

たとえ、過酷な状況であったも、つらいことがあったとしても、お金持ちじゃなくても、何か持病があったとしても、自分で思う、不都合なことがあったとしても

「それでも」です。

人生は自分の意味づけ次第なのですから。

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