出会いも必然、別れも必然
別れが生じる理由
本日のテーマは「別れ」についてです。男女間だけではなく、同性で仲の良かった人、親友、または夫婦間、ありとあらゆる関係性においての別れについて書きます。
出会いもあれば別れもある訳ですが、「必然の出会い」なんて言われることがあるように、出会いに関しては、私たちは割とポジティブな意味合いに取るケースが多いようです。
私たち人間は、どんな人とでも出会いは必然でして、例え、自分にとって喜ばしくない、不快な相手でさえも必然の出会いであると、私は信じています。そういう意味付けの方が学びがありますしね。
では「別れ」に関しては?結論から言いますと、悲しい別れ、失恋とか離婚という場合であっても、別れというのは、実は、それを受け入れた時には、自分にとって、ステージがあがった瞬間と言えます。
なぜなら、その相手との学びが終わった瞬間だからです。
必然的に出会って、そこからたくさんの教訓を得て、何かの面で人としての成長があり、悟り、そこで起きた問題に関しては、「はい、完了!」というハンコを神様からいただいた時に別れがやってきます。
もちろん、別れは出会った全員に起きるわけではなく、生涯愛し合って別れが来ないこともありますが、それでも、別れそのものには実はポジティブな意味合いもあるのです。
例え、その別れが悲しくても、つらくても、必然の出会いだったと同じように、必然の別れなのです。
嫌いなのに別れられないのは・・・
大嫌いな人が自分の人生に、ずっとつきまとう、ということがあります。顔も見たくもないし、本当にイライラする相手。そんな相手を嫌えば嫌うほど、その関係性は色濃くなっていく・・・しかし、ある時
「自分の人生なのに嫌いな相手にイライラしてたらもったいない」
「相手は自分の鏡だから自分の何を映し出しているんだろうか?」
内観し始めて、何かが自分の中で分かり、腑に落ち、相手が問題にならなくなった時、不思議と相手が自分の目の前から居なくなります。
それは、簡単に言うと、相手とあなたの波動が合わなくなった瞬間です。今まで嫌えば嫌うほど、実は同じ波動、同じ周波数を発していたのです。
結局、人は、波動が違う者同士、同じ世界を共有することはありません。ですから、相手がどんな相手でも、別れが来た時には、もう、その相手からの学びが終わり、次の必然の出会いが巡ってきます。
その必然の出会いは、あなたにとって大好きな人かもしれず、はたまた大嫌いな人かもしれず、いずれにしてもまた学びが始まっていくのです。
「今までありがとう、あなたも幸せでありますように」
例えば、離婚をバツ1、バツ2、という表現をすることがありますが、バツじゃなくて、マル1、マル2、です。なぜなら、相手との学びが完了して、人としての成長があって、別れが来たのですから。
しかし、本当の意味で離婚がバツになるときがあります。それは、終わった事、または相手にいつまでも執着して、過去に縛られていたり、その人を想い続けて前に進めない場合。
時々、別れた相手に対して、恨み、憎しみ、さらには、歪んだ愛情を抱き、依存的であったり、その人が気になって気になって、別れたあとでも、ずっと想い続けていたりしている・・・
それはまるで、今を生きていないことと同じ。歪んだ愛で好きすぎても、大嫌いでその人をねたみ恨み憎しみ・・・どちらも執着です。
早く断ち切るため、言いたかったことで言えなかったことを紙に書いてみるのもいいでしょう。誰に見せるものでもありませんから、暴言でも構いません。洗いざらい心の中を紙にぶつけることで、自分の中でその感情を消化させてみてください。
そして、散々暴言や感情を吐き出したあとでも、それらを昇華させるために、次の言葉でしめてみましょう。
それでも、あなたのおかげで成長させてもらったし、いい時もあって、いい経験をさせてもらいました。今まで本当にありがとう。そして、あなたも幸せでありますように。
「そんな思ってもいないこと言えません!」という方、はい!おっしゃる通りで、思っていなくても、心がこもっていなくてもいいのです。ですが不思議、何度も言葉に出しているうちに、本当にそういう気持ちになっていきます。
そして、その言葉は実は、相手のためよりも、自分の心のためにもなります。憎しみやドロドロした黒い感情だけで終わると、やはり、気持ちが沈みますし、中には、「そんな自分はダメだ」と自己否定に陥ってしまう人もいます。
だから自分のため、です。心が伴っていなくても、その相手への感謝と幸せを祈るその言葉で、次第に浄化されていくのです。試してみてください。
生まれてから死ぬまで出会いと別れの繰り返し
1章でもお伝えしたように、別れというのは実はポジティブなこと、それが分かると、人間関係においてラクになります。
失恋で別れが来たとしても、彼との関係で成長した点は何だろう?とか、人生の中で重要な学びを得たとしたら、何だろうか?とかを考えてみましょう。
つらい別れであっても誰かとの別れは成長であり、次のステージに行くための、卒業証書というわけです。そして、新たな出会いでまた、卒業するまでの学びが始まります。
出会いと別れというのは、この世に生まれてから死ぬまでずっとあるものです。それは人生死ぬまで学び、人生死ぬまで成長であるということ。
ならば、その学びを楽しんでしまいましょう。次々と用意されるステージで、ゲームを楽しむ感覚で成長すればいいのですから。
神様から用意された教材というのはたくさんあります。それが「お金」だったり「人間関係」だったり、その中の「恋愛」だったり、「病気」だったり、「仕事」だったり。ありとあらゆるもので、私たちは学ばせられています。
いかがでしたでしょうか。本日の記事、何かあなたにとって参考になる点があれば幸いです。