心が幸せに満たされる方法
いまある幸せをちゃんと捉えられていますか?
人生に必要なことを3つ上げるとするなら、皆さんは何を上げるでしょうか?私はブログや著書でも伝えていますが、「愛」と「笑い」と「感謝の心」。もう本当に、人生はこの三つに集約されるな、と。
これがあれば、幸せも、人々が言う成功(それぞれ定義は違うけれど)も、文字通りのお金も、すべて手にいれることができます。そして健康さえもです。
感謝の気持ちがある人は、文字通りいろんなものが増えていきます。それは目に見えない豊かさが増えることや、目に見えるお金、物質、仕事の面での成功、ありとあらゆるものが増えていきます。
なぜなら、感謝とは、「ありがたい」と思う気持ちであって、今目の前にある幸せを「ある」ととらえているから湧き上がる感情なのです。
「ある」はもうすでに、満たされているという感覚ですから、それは、もっと違う「ある」を引き寄せるようになります。感謝の気持ちと同じ周波数の願ったもの、それが願望達成の秘訣になります。
自分が今、満たされていると思えたら、次に欲しいものにも執着がありません。執着はそれが「捉えられないかもしれない・・・」という不安や恐れがついて回るので、その不安と恐れのほうが現実化します。
ちなみに、感謝の気持ちもなんもなくて、執着バリバリの人も儲けられますし、成功もしているように見えます。
しかし、長くその場にはいないことでしょうし、幸せが伴っているか?と言ったらそうではないかもしれません。お金持ちの3分の1は幸せではない、という統計もあるくらいですから。
豊かさは小さな「ありがたい」から
皆さんは、毎日普通に食べられているお米を見て、「いただきます」をするときに、その一粒一粒のお米に対して、胸が熱くなるくらいありがたいと思うことはあるでしょうか?
農家の人が、重労働しながら作ったお米。そして、何人もの人の手を通して、自分の家にやってくる奇跡のようなお米。
ブランド物のバックが買えなくても、欲しい宝石が買えなくても、海外旅行に行けなくても、それでも、毎日お米が食べられていることに、手を合わせて、「ありがたい」と思うことはありますか?
豊かさは、こういう小さな「ありがたい」から生じていき、それをたくさん拾っていくと、脳はもっともっと「ありがたい」と思えるような幸せをたくさん拾ってくれるようになります。
反対に「ないない思考」の人は、どんどん奪われていき、何も持っていないような気にさえなります。
「こんな給料の安い会社なんかやめてやる!」と、思うのは自由ですが、あなたがその会社への発している気持ちは、きっとこれからも、外の世界に発していくことになるでしょう。
安い給料だろうが、嫌な思いをしようが、職があることをありがたい、と思う気持ちがなければ、起業して、一儲けしてやろう!と思ったって、また同じこと。
それらで成功するには、まずは自分には「ある!」を認識しない限り、起業してもなかなかどうして・・・って感じでしょう。
運は神であり、神は自分自身
会社に雇ってもらえて、お金をもらえていたことは何とありがたいことか。それを文句を言ってやめる、というのは、あなたが神様だったらどう見るでしょうか?そんな人を神様は応援したいと思うでしょうか?運気は上がるでしょうか?
運は神です。そして神は自分です。つまり、不平不満を言っている自分は、不平不満の何かを実現してしまう神なのです。
感謝の気持ちは、自分の「持っているもの」や「ある」ものに気付くことで高まってゆきます。毎日がありがた過ぎて、足りない物など本当は何もないことに気づくかもしれません。しかも、命があるのですから。
目の前にある感謝できること、毎日数え始めると、その日から、自分がいかに恵まれた環境にいるかが分かってきます。それはどんな環境にも左右されません。
宇宙の法則はそうなっていますから。法則って単純なのです。
たった3秒でほんのちょっと幸せに満たされる方法
最後に、これは私の尊敬する人の受け売りではあるのですが、その方は、救急車のサイレンの音が聞こえるだけで、「その人が無事に元気で家に帰れますように・・・」とすぐに祈るような人です。
その方からそれを聞いてから、私も全く見ず知らずの人の「幸せ」を祈るようになりました。
また、身近な人が何か新しいことにチャレンジしようとしていた時には、「本当にその人がそれで成功するように」と、願うようにもなりました。世に出るといいな、とか、その人が有名になるといいな、とか。
あ、嫌いな人にはそういう感情は起きませんけど (笑) その点はまだまだ未熟者ですが、反対に「落ちろ!」とかも全く思いません。
話しを戻して、「3秒でほんのちょっとだけ幸せになる方法」は、先の救急車の例にもリンクしますが、街ですれ違う、全く見ず知らずの人に、「あなたが幸せでありますように・・・」と心の中で一瞬だけ祈るのです。
知らない人の幸せを祈ったとたん、「それでいいんだよ」という是認の感覚というのかな・・・言葉では言い表せないんですが、心が満たされる感覚になります。
言葉を変えて言えば、自己満なのかもしれません。しかし自己満だろうが、なんだろうが、人の幸せを祈ることや人の幸せをお手伝いすることは、自分も必ず幸せに繋がります。これもまた、宇宙の法則に則っていることです。
すれ違う見知らぬ人の幸せを一瞬だけ祈ってみてください。そしてこれが習慣化することによって、ブーメランの法則により、それがまた自分の幸せに寄与することでしょう。