今ここに生きる~不安と怖れのなくし方~
今に生きる、とは?
今日の記事は、「今ここに生きる」。仏教の教えのように感じるかもしれませんが、今日は、ユダヤ人の精神科医フレデリック・パールズの心理療法の一つ、ゲシュタルト療法の中の言葉を記事にしたいと思います。
ゲシュタルト療法9原則というのがありまして、その第1と第2は次の通りです。
第1、「今に生きる」
私たちは、”今に生きている” には違いないのですが、普段の生活の中では、意外に今を生きている、ということが少ないものです。
過去のつらい出来事を引っ張り出して、悩んでみたり、ずっとひきずっていたり、もっと悪いことに自己憐憫に陥り、悲劇のヒロインを何年も演じてみたり・・・このように、今を生きていない場合が結構あります。
さらに、今を生きていない人の傾向としては、起きてもいない不安や心配をずっと考えていたりします。
私も十数年前はそういう傾向にありましたからよくわかりますが、今思えば、いかに無駄な時間と精力をその将来の不安のために使っていたかと思うと、本当にもったいないな、と思うのです。
今と現在に集中してみることは、シンプルな思考作りに寄与します。ついつい過去の辛いことを思い出したら、変えられない過去を悔やむ時間は、時間のムダだと思い出してみてください。
これは「将来の不安も思ってはいけない」ということでもなく、その不安のために対処を考える、ということはいいと思うのですが、それに縛られ、今の生活の楽しみ事が減るのは残念なことです。
心配や不安の9割以上は、自分の身に起きないとも言われています。今を楽しむことに集中したいですね。
ここに生きる、とは?
第2、「ここに生きる」
この意味は、ここで出来ることを全うする、ということ。どういうことかと言いますと、ここに生きていない人は、「魂ここに在らず」状態のこと。
仕事をしている最中に、仕事後のデートのことを考えていたり、デート中なのに、明日の仕事を考えていたり・・・私たちは、ここにいるべき時に、魂だけ違うところに行っていることがあります。
例えば、サーフィンしている最中に、サーフィンに集中していなかったらどうなるでしょうか?波を意識せず、フォームを意識せず「今晩何食べよう~?」とか考えたら、きっと波に飲まれてしまうことでしょう。
サーフィンに限らず全部そうです。それに集中するって、生きていることに直結するな、と。私的には、生きることを味わい知るような、本気で生きている感覚です。悩みの渦中にあるときは尚のこと、”ここ” にも集中したほうがいいのです。
今、ブログを読んでいるなら、ブログを読むことに集中し本気で読んでみる。誰かと話をしているなら、その人に意識を向けて本気で向かい合ってみる。
“今とここ” に集中すると悩みもなくなると言われています。
不安、恐怖、怖れをなくすシンプルな方法
過去のつらい出来事や、将来の不安にベクトルが向き過ぎている、と感じたら、是非、今日のこの言葉「今ここに生きる」を思い出してください。
無駄な感情というものは何もありませんが、ただ、最近特に思うのは「起きていないことへの不安、恐怖、怖れ」について。
これらは、あまり建設的でないばかりか、それに浸ってしまうと、現実化してしまうということもあるので、あまりフォーカスしないようお勧めいたします。
では、どうすれば「起きていないことへの不安、恐怖、怖れ」にフォーカスせずに、今ここを生きることができるのか?
結論から言うと、その解決策に向けて動くこと。行動すること。前に進むこと。動いているうちに、そちらに意識が向きそのうち恐れも不安も忘れます。
いつも不安や恐れを感じている人は、意識がそこに向かっているだけです。腹をくくる、決意する、ただただ無心になって動く、前に進む。たったそれだけで人生は好転します。
「今ここ」を生きて不安に捉われない人生を
いかがでしたでしょうか。
最後に余談ですが、以前、「今ここ」の考え方は、仏教のものだと思っていました。と言っても、あまり仏教のことはよくわからないのですが。
この記事を書いていて、ふと「どうして、ユダヤ人のフレデリックさんが、自分の療法に、今ここ、を取り入れたのか?」と興味が沸きまして。
ネットで調べてみたら、フレデリックさんはなんと、京都の大徳寺で禅の修業もされていたと。この教えはやはり、禅の影響を受けていたのですね。
私自身も普段の悩みでは ”今とここ” に思いっきり集中することで、悩みや不安は激減しました。なので、私の生き方には積極的に採用している教えの一つです。
是非、皆様もその癖付けをしてみてください。考えの癖や自分の思考経路の癖などは変えられますから。
反復トレーニングを続けると、いつしかそれが自分の思考の一部になります。デスクの前や、パソコンの脇にでも付箋に書いて貼るなど、意識できるようにやってみてくださいませ。