今ある命を大切に生きる
この2日間を経て思うこと
いつもはこちらに時事を書くのは少ないのですが、元旦に引き続き、今度は被災地支援物質郵送の海保の飛行機がJAL機と衝突して、海保の飛行機の乗員6名中5名が亡くなったとのこと。
2024年、一体どういう幕開けなのでしょうか。大きな変化がある、というのは昨年から予測できていましたが、こんな形で年が明け2日も続けて・・・
心より、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。ご家族も悔しくて仕方がないことでしょう。
メインブログにも書きましたが、続けてこのような悲しい事件があるとブログに何を書いたらいいのか・・・わからなくなります。
私も東日本大震災の被災者であり、今でも時々、あの時のすごい揺れ方を体で思い出すことがあります。
目の前で、鏡台を支えている友達が、恐怖で泣き叫んでいたあの声や、部屋中のものが容赦なく床に打ち付けられガチャーン、ガチャーンと割れる音、また古い家でしたので、ギシギシミシミシと家がゆがむ音。
あまりにも長い5分間だったゆえ、思い出すと今も体が恐怖で震えます。
明日は我が身
このような出来事があったから、というだけでなく、「今ある命を大切にするのはなぜか?」を考えること、すべての人々が考えたほうが、今後の人生の在り方に関して、変わってくると思うのです。
・自分の命を常に燃やし尽くすほど好きなことをやれているのか?
・精一杯動いているのか?
・我慢していることはないのか?
・与えられるものを出し惜しみしていないか?
・いつ死んでも後悔のない人生だったと言えるのか?
震災後から、こんな質問を何度も自分に問いかけました。そして今まさにこの問いかけがズシンと響く2日間でした。
震災の時に、同じ場所にいた人でも、一方は生き残り、一方は波にもっていかれ一体、その差は何だろうと?と考えても答えなど出せません。
しかし、一つ言えることは、明日は我が身である、ということ。明日死ぬとわかっていたら、あなたは何をしますか?
もっと感謝を伝えておけばよかった
もっと愛情表現をしておけばよかった
もっと遊んでおけばよかった
もっとゆっくりして生きてくればよかった
もっと挑戦すればよかった
もっと…もっと…と後悔してしまうのか?それとも、やりきったから自分の命はここまでか…しょうがない、と悔いが残らずこの世を去ることができるのか?
後者であるなら、すごくいい。だからこそ、この新しい年明けの嫌な出来事から、多くの人々が自分の生き方と向き合い、なにかに気付き、やりたいことやり残したことは寿命が尽きる前にやりきったほうがいいと思っています。
命が尽きるまで精一杯幸せに生きていく
私は皆さんのように責任がありません。子供がいるわけでもない、誰かを守らなければならない立場でもない、だからゆえに、思い切ったことができたり、自由ではあります。
それでも、いや、だからこそ置かれた立場で、自分の生き方を見直すのは大切なのかもしれません。
「やりたいことは全部やる!自分の人生!」一生、私の中のスローガンです。そして、いつもそんな風に生きてきたときに、突然、神様からリセットボタンを押されることになっても「やり残したことない」と思える為にも、まだまだ積極的にやろう、という風に改めて決意しました。
やりたいことが全部やれないで、亡くなった人たちへの敬意も込めて、やはり生きている私たちが幸せに生きていくこと。
今はこの命を出し惜しみせずに、時間も無駄に過ごさず、命も無駄にせず、寿命が尽きるまで、生きていきたいと思うのです。
いまある命をどう使うのか?行動しよう
もし、あなたがやりたいことを思いっきりやっている時、誰かに「変わってしまったね」と言われたとしても、がっかりする必要はありません。そしてそれを恐れ、自分のやりたいことや表現したいことを制限する必要もありません。
人とは出会いと別れの繰り返しで、突然の別れもあります。それも、不思議なことではなく理由はとてもシンプルで、波長が合わなくなる、というだけの話。
波長が合っている限り、共にいますが、波長が合わなくなった時には、ちゃんと自分に違和感という形で教えてくれます。
・伝えたい人に伝えたいことは全部言えていますか?
・やり残したと感じる何かはありませんか?
・あきらめてきたことはありませんか?
・これからやってみたいことは何ですか?
思考に制限を掛けるのをやめ、叶わなくてもいいから、叶えたいことを願うだけ、言ってみるだけ、そして、ちょっとだけでいいので行動に移してみると、その時に、モーゼが紅海を分けたかのように、道が拓けてくることがあるのです。
最後に、この質問を皆さんに贈ります。あなたは「精一杯生きた」と、何ができたらそう言えますか?
いま生きているこの命をどう使うのか?考える機会として、行動に移していきましょう。