幸せを感じるために必要なこと
幸せを感じられるのは・・・
今日のテーマは「幸せ」について書きたいと思います。
最近は本当に毎日が幸せなので、あまり幸せについて考えることなどほとんどないのですが、多くの人々の関心事かもしれません。
日々の幸せを感じて生きていますか?身近な幸せに無上の喜びを感じていますか?この「幸せ」はどうして感じることができるでしょうか?
幸せは、不幸せな経験があるからこそ感じるものです。
不幸のどん底だと思って生きていた頃があったから、それを比較材料にしているゆえ、今が本当に幸せだと感じることができるのです。
おいしいものを「おいしい」と感じるのも、過去にまずいものを食べた経験から来ています。
もし、生まれたときから、おいしいものしか食べたことがない人は、お店でおいしいものを食べても「何これ!すっごいおいしい!」と感動しません。
おいしいものがおいしいのは当たり前、それしか経験がないのだから。
感謝の気持ちで日常が幸せになる
では、無上の喜びとは何なのでしょうか?「無上」に関して辞書にはこうありました。「この上もないこと。最もすぐれていること。また、そのさま。最上 」
私の感覚なのですが、ブワァッと溢れる感覚、満たされた感覚で、恋をした時のキュン感の柔らかいバージョン。光の温かいベールに包まれるような、そして、時折涙がジワァとなったり、天に向かって手を合わせたくなるような感覚。
私も時折、無上の喜びを感じます。
それは、車の移動時にも、家で昼寝する瞬間も、街を歩いている時急にその気持ちが高まったり、「ありがたい…」と常に口からもれるような感覚です。
過去のイヤだった出来事も、人を憎いと思った感情も、ストレスで痩せた経験も、誰もが信じられなくて、全部捨ててどこか遠くに逃げたくなった感覚も。
全部今の幸せに役立っていると思うと、一つ一つが宝物のような気持ちになるものです。
もちろん、今後も生活の中で、スパイスのような部分(嫌な出来事や辛い事、不幸なこと)はあるわけで、それは自分の無上の幸せ感を高めるのにも役立っている、ということ。何事も経験です。
しかし、当然、そのつらさの渦中にある時は、そんなことを考える余地もないほどかもしれません。
もし、視点を変えることができるとすれば、今つらい状況にある人は、次に来る幸せを存分に味わうための経験だと思ってみるのも乗り越えるコツのひとつになるかもしれません。
なので、時々悪いことが起きた時に、こう思うのです。平安な時は、当たり前のことではなかったんだな、と。普通の生活にさえ感謝できるようになります。
そして反対に、その平安な時にこうして生きていられること、針がどちらに振れても、ありがたいな…と思いを馳せることができるのです。
常日頃からそんな気持ちになれたら、人生、いつでも幸せを感じることができることでしょう。
すべては無上の喜びにつながる
では、無上の喜びとは何なのでしょうか?「無上」に関して辞書にはこうありました。「この上もないこと。最もすぐれていること。また、そのさま。最上 」
私の感覚なのですが、ブワァッと溢れる感覚、満たされた感覚で、恋をした時のキュン感の柔らかいバージョン。光の温かいベールに包まれるような、そして、時折涙がジワァとなったり、天に向かって手を合わせたくなるような感覚。
私も時折、無上の喜びを感じます。
それは、車の移動時にも、家で昼寝する瞬間も、街を歩いている時急にその気持ちが高まったり、「ありがたい…」と常に口からもれるような感覚です。
過去のイヤだった出来事も、人を憎いと思った感情も、ストレスで痩せた経験も、誰もが信じられなくて、全部捨ててどこか遠くに逃げたくなった感覚も。
全部今の幸せに役立っていると思うと、一つ一つが宝物のような気持ちになるものです。
もちろん、今後も生活の中で、スパイスのような部分(嫌な出来事や辛い事、不幸なこと)はあるわけで、それは自分の無上の幸せ感を高めるのにも役立っている、ということ。何事も経験です。
しかし、当然、そのつらさの渦中にある時は、そんなことを考える余地もないほどかもしれません。
もし、視点を変えることができるとすれば、今つらい状況にある人は、次に来る幸せを存分に味わうための経験だと思ってみるのも乗り越えるコツのひとつになるかもしれません。
なので、時々悪いことが起きた時に、こう思うのです。平安な時は、当たり前のことではなかったんだな、と。普通の生活にさえ感謝できるようになります。
そして反対に、その平安な時にこうして生きていられること、針がどちらに振れても、ありがたいな…と思いを馳せることができるのです。
常日頃からそんな気持ちになれたら、人生、いつでも幸せを感じることができることでしょう。
不幸せがあるから幸せになれる
最後に、ここまでお伝えしたことですが、現実的に言えば、腹の立つこともあるし、理不尽なこともこの世にはたくさんあります。
ですから、怒るなとか、心乱すな、とかいう意味ではありません。
人間ですから、ありとあらゆる感情を味わい知り、それが過ぎ去った時に、ちょっとだけ自分の心を上記のようなことに向けてもいいのではないかな、と思うのです。
太陽と光と雲ひとつない青空があって
それを眺めていられる限り
どうして悲しくなれるというの? (アンネ・フランクの言葉)
彼女の背景を考えますと、ナチスの迫害により亡命して、隠れ家でアンネの日記を書きましたが、たくさんの名言を残しました。
まさにアンネ・フランクの言葉たちは、幸せは、幸せじゃないことがあるからこそ、幸せと感じる、ということを表してくれているのです。