美しく生きる。ということ
美しさとは総合的なもの
「生き方」を見つめることは、人生においてとても大切なことです。
これまで多くの方とコーチングなどを通じて、筆者の主観ではありますが、生き方が美しい人は、その人が総合的に美しく感じます。顔の造形や、容姿うんぬんの話ではなく、生き方が美しいとオーラが輝きます。そして、パーツではなく、全体像が美しく見えるのです。
・程よくストイックでありながらも、抜け感もちゃんとある。
・自身をわきまえていて、コントロールもできる。
・汚いものに蓋をせず、かつ、内側をオープンにしすぎることもない。
・マイナスな言葉を発することがあったとしても、人を傷つけない。
非常に伝わりにくいかもしれませんが、そんな人は「美しい」と感じます。
生き様は、顔に現れる
私たちは人間ですから、話もしますし、動きもあります。だから造形的な美しさだけが見られることはありません。顔が美しいのに、なんか「美しくない・・・」と感じてしまう人はいませんか?作りが美人であっても、心情は顔に刻まれていくもの。
悪口、不平不満ばかりを言っている顔が、何年、何十年も生きていると、どのような表情になってしまうでしょうか?あまり想像したくありませんよね。
「生き様は、顔に現れる」という言葉があります。
自分の発する言葉が、生き様や顔に現れるのなら、自分にも、そしてどんな人に対しても、礼節を持った言葉を発してゆきたいものです。
心の綺麗さが、美しさを生む
透明感のある美しい女性。憧れますよね。では「透明感のある美しさ」とは、どこから生み出されるのでしょう?
こちらも筆者の主観ではありますが、そのような人々は、本当に心が綺麗です。それゆえ、笑顔が美しく、瞳が澄んでいます。
口元には、その人の思惑が現れます。
瞳の奥には心が、顔全体には性格が現れます。
背中には生き方が、眉と目には意志が現れます。
野望や欲望を持つと、美しくなくなるという意味ではありません。
アスリートが化粧をしていなくても、ファッショナブルにしていなくても、美しさを感じるように、ストイックに努力し、行動し続ける女性もまた、美しいのです。
ひたむきな姿は、美しい
また「美しく生きる」ことは、人だけでなく、動物たちから教わることもあります。
我が道をゆくいい意味でのわがままさ、感情を素直に見せることなど、動物たちの生きる姿は、人のように「なんでいつもこうなの?」「悔しい、辛い」などの言葉は発さず、今日も、明日も、いつもと同じように、淡々と「今」「この瞬間」に向き合っています。
例えば、愛するペットが歳を取り、足腰が立たず、何度も転んでしまう姿を見た時、「かわいそう」と思うかもしれません。もしくは「辛い」と思うかもしれません。しかし「かわいそう、辛い」と思うのは、人間の感情の投影です。
その子はただ黙々と、淡々と取り組んでいるだけなのです。立ち上がり、転び、でもまた立ち上がる。やめないのです、立ち上がることを。そして歩くことを。
ただ目の前にあることを、ひたむきに淡々とやり続けること。過去を思い出し胸を痛めたり、まだ見ぬ未来へ不安を抱いたり・・・そうした恐怖心に苛まれたときこそ、動物たちのように、「今」「この瞬間」だけを見て、目の前のことにひたむきに取り組む。そのひたむきさが、あなたの生き方そのものを美しくするのです。
本物の美しさとは
美しく生きる。
とても抽象的で、どのように生きてゆけばいいのか、おそらく命が尽きるその日まで、磨き続ける「永遠のテーマ」なのでしょう。顔の造形や容姿を変えるには、膨大な時間とお金とリスクが必要ですが、生き方の心持ちは、誰でもすぐに変えることができます。
生き方から発せられる美しさというのは、外見的なものとは違い、朽ちることのない本物の美しさ。幾つになっても、美しく生きる。その生き方で、誰かがたった一つでも何かを拾ってくれたり、楽になってくれたり、もしくは、元気になってもらえたのなら。これ以上の、人生の美しさはないのでないか?と思うのです。