バカでよかった~今の自分を超えてゆく方法~
バカで良かったなんてあるの!?
皆さんは、嫌なことが重なって起きる現象、経験ありませんか?一つ嫌なことがあれば、それはそれは次々と・・・
そんな場面に直面しても感情的にならず、スルーする方法を学ばせられているんだと思い直したり、我が人生の処世術で「バカは相手にしない」とマイルールがあったのにもかかわらず、腹が立って、ついマイルールを破ってしまい、感情が乱れたり。
私は、感情を押し殺してしまうと、あとで積もったものが爆発することもあるので、感情を飲み込むことはせず、小出しにします。しかし、もしここに相手が関係している場合は、感情を出した時に、後味が最高に悪いものです。
優等生になる必要はありませんが、怒りというのは精神力と体力も使うものです。ほどほどのほうがいいですね。
「バカは相手にしない」というマイルールについては、バカにも色々とありまして・・・なにを相手にしないのかについてはまた後日として、こんなマイルールを掲げている私自身も、時々「いや〜、私ってば本当にバカだな〜」と思うことがよくあります。
しかしながら「バカでよかった」と思うこともありまして。そんなわけない!と、思うかもしれませんが、発想の転換をしてみるとあるものなのです。
バカで良かったこと~ワタナベの場合~
例えば、私は波長が異なる人の文章は理解ができません。何を言いたいのかまったくわかりません。そういう人の投稿についたコメントを読むと、皆さん理解していて、自分の読解力のなさ、「ああ、私バカなんだ」といつも思います。
小中高と本当に勉強が嫌いで、成績も良くありませんでした。勉強をあまりしないで成績が真ん中辺りだったから、やればできた子だったんだろうと、今でこそ自分を励ましていますが、結果的にやってないから、同じね。
文章力も読解力もなし。歴史にも興味なし。数学は足し算と引き算と掛け算割り算ができれば生きていけると思っていました。
ですから今でも心理学的なことや、専門書を読む時に、人よりも飲み込むまで時間がかかります。ここまでだと、「やっぱりバカに利点なんてないじゃないか」と思うでしょう。しかし、ちゃんとあるのです。
一般の本は難しく、よく理解できないから、私が書くことは自分の能力でわかることしか書けません。まずは自分が知識を吸収して、ワタナベの経験も加味しながら、自分フィルターを通して表現をします。
その結果、私が文章化して表すと、子供でもわかるような表現になります。専門書に比べたら、稚拙な文章、とも言えるでしょう。でもそれが、「ワタナベさんの言うことってわかりやすい」という評価になっているのです。
バカで難しいことが書けないから、自分が分かる言葉で書いている。それがいい評価をいただき、ありがたいことに、出版した殆どの本がベストセラーになっているのは、私の頭があまりよろしくないからかもしれません。
欠点の裏側の利点を覗いてみよう
「バカ、頭が良くない」という表現は、卑下していると取らないで欲しいですし、謙遜して言っているわけでもありません。むしろ、個人的にはとても気に入っています。
バカだから人より多く練習をする、人より多く本を読む、人より多く・・・ということが必要だったからこそ、今があります。
皆さんも、自分の欠点だと自信が持てないところ、いやだな、と思うことがあるかもしれません。ですが、発想の転換で「その裏側にある利点はなんだろう?」と考えてみてください。
例えば、飽きっぽい人は好奇心旺盛だから、いろんなものに手を出す。ゆえに行動力もある。人の落ち度ばかり目についてしまうことだって、それは改善点を見つけるのが得意、ということになります。
つまり、あなたが良くないと思っている点も、良い点が必ずあるということ。弱みを強みに変換できるワークとして、自分の嫌いなところ、欠点、短所、それを書き出し、裏側の良いことを書き出してみましょう。
今年の振り返りは来年へのステップ
前述のワークと同様に、今年もあと2か月を切り、今年がどんな一年だったかを振り返る方も多いことでしょう。
今年はいい年だった、と思えるようにするには、その年の学びをしっかり汲み取っておくことです。(無理やり思えということではないですが)
この振り返りをするのとしないのとでは、ステップアップや次なる行動へのフットワークの軽さ、メンタル面での影響がまったく異なってきます。
では、私からコーチングの質問を。
あなたにとっても、色々あった2022年。それでも「いい年だったな」、と言えるとしたら、それはなぜですか?どうしてそう思うのでしょうか?
今から少しずつ振り返っていくのもよし。年末にじっくり向き合うも良し。どちらにしても、自分の世界を作るのは、自分の物事の見方次第、意味づけ次第なのです。
去年よりも今年、今年よりも来年の自分を超えてゆこう
皆さまにとってのそれぞれの1年。学びも多く、成長という視点で見た時に、経験はやはり大切なもの。年々、人生を歩みやすくするための、課題なのだな、とつくづく思います。
そしてこの学びと成長は死ぬまで続くのであり、年齢を重ねた時にわかることもたくさんあり、知ることができる喜びをこれからも死ぬまで味わえるのだ、と思うと、楽しみですね。
できれば苦しいのは御免こうむりたいけれど、バカなのでこれからも課題がてんこ盛りなのだろうな(笑)
去年よりも今年、今年よりも来年の私を超えてゆくこと。
問題を乗り越えた分、知恵もつき、器も少しずつ大きくなり、視点もちょっとずつ高くなり、心も1ミリずつではありますが、広くなっていっているのかもしれませんね。