真の友の見分け方
慰めてくれるのが真の友なのか?
愚痴や辛い経験、悲しい経験、悔しかったこと、こういうことをブログやその他のSNSで吐き出すこと、それらの感情が消化されず、モヤモヤや負の感情にどっぷりと浸かったまま、感情に任せて書くこと、あるかもしれません。
書く、ということは感情のアウトプットになり、整理できます。さらにいえば、書けば必ずやその感情に共感したり、慰めてくれる人がいます。
共感してくれる人がいるだけで、その問題は半分以上は解決されています。それだけわかってくれる人がいる、というのは本当にうれしいことなのです。
そして、慰めてくれたり、つらいことに共感してくれる人をあなたは、友だと思うかもしれません。しかし、本当の意味で、真の友なのでしょうか・・・?という記事を書こうと思います。
喜びを共にできますか?
人間は多くの場合、どんなに性格が悪く見える人でも、根本は、優しい生き物です。悲しんでいる相手を見ると、慰めたり共感したくなるもの。
しかし、本当にあなたのことを思っている真の友は、それだけでなく、あなたが喜んでいる状態の時も、同じように喜んでくれる人のことです。
あなたが喜んでいる時は何も声をかけず、悲しんだりつらい思いをしている時だけ、共感と慰めをする。これはどういったことなのでしょうか。
「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に 泣きなさい」
聖書の格言ですが、実は共に泣き悲しむ、というのは簡単です。基本的に人は優しい生き物ですから。
今日お伝えしたいことは、あなたが真の友だと思ってる人は、あなたが得た成果や成長の時も、共に手を叩き喜んでくれますか?あなたが幸せになったり、夢が叶ったり、喜んでいる時にも一緒になって分かち合ってくれますか?
または、あなたは友に対していかがですか?友だと思っている人が上記のようなことになった時、共に喜べるでしょうか?
これが、真の友かどうかを見分けるコツです。
「喜べないからダメ」ではなくて・・・
とはいえ、友の成果や成長、喜びを共に喜べない時も、時にあるかもしれません。それができないからと言って、自分を責めたりは決してしないでください。
モヤモヤがあったって大丈夫。いつもいつも人間はそんなに寛大なわけではありませんし、素直に喜べない時、それは、自分の心の奥底のSOSの時です。
自分が幸せな状況じゃない時には、他人の幸せを喜べないことがあります。別に、心が狭いわけでも、性格が悪いわけでもなく、「もっと自分を大切にしてね」という合図です。
感情は、自分が満たされているかどうかのバロメーターにもなるものです。自分が幸せな時は、相手の幸せも喜んであげられますし、逆もしかりですね。
そんな時は、大人の対応をしつつも(相手をちゃんと祝福しつつも)そのあとは、ちゃんと自分の奥底を拾って、自分を癒したり、顧みたりしてあげてください。
私もブログ内でお伝えし、よく言われることとして、まずは自分を満たすこと、自分が幸せであること。これは誰でもない、あなたが生きやすくなるために大切なことです。
さらに「喜べない時」にわかること
そして、真の友は、血の繋がった家族のような関係です。親が子供の成功を喜べるのと同じような感覚。心から「よかった」と言えるような関係なのです。
親でも兄弟でも妬みは存在しますが、そういう特殊な例ではなくて、一般的な親も兄弟も、相手の幸せと成功を喜べるものです。
別に真の友じゃなくても、関係性によって喜び具合などは違ってくるのでしょうけどね。
ただ、あなたが親友だと思っているその人の喜びや幸せを自分は喜んであげられるか?あなたを親友だと言ってくれるその人は、あなたの喜びや幸せを、自分のことのように喜んであげられるか?これが見分けどころ。ではあるのですが!
ここまで書いておいて、最後にこのことを書くと、今日の記事の意味がなくなるかもですが・・・書きますね。
ぶっちゃけ、別にどっちでもいいです。できていようが、できていまいが、そんなことはどっちでもいいのです。そして、相手の幸せと喜びを心から喜んであげられない時にわかることは、どこかでその友達と競っている、闘っている、ということなのです。
せっかく友と付き合うのなら
人間関係において歪んだ関係性だと、結局つらく苦しくなります。表面上の付き合いと割り切っているなら問題はないですが、深い付き合いなら素で付き合いたいものです。
相手が喜んでいる時に共に喜ぶことができるか?共に喜んでもらえているか?
さて、いまのあなたの友との関係性はいかがでしょうか?今日の記事に、何か気づきがあればお持ち帰りくださいませ。