「自分は正しい!」の危険性
「自分は正しい」は間違いの元
私たちは、何かの事象や物事を自分のフィルター(自分だけの思考や価値観)を通して視て、それで周りを判断しています。そんな中、
「私が言っていることは正しい!あなたは間違っている」こう言う人、周りにいないでしょうか?実は、この主張こそが間違いの元となることは往々にあります。
他者に耳を傾けるという謙虚な姿勢や、たとえ相手に非があっても、許す余裕や情状酌量の余地を持って対応できる人は、年齢性別関係なく、人として本当に美しいものです。
反対に「自分は正しい」「自分は間違っていない」という思考がある人は、そのような前提を持って物事を見てしまうため、すべて、相手が間違っているかのように見える、聞こえる、読める、思っている・・・
本来はその思考から一旦抜けてみないことには、相手の主張の正しさも、自分にも非があることも理解できないのに・・・厄介ですよね。
だいぶ過去に遡りますが、私が過去に会社員だった時、職場でこんな出来事がありました。
謝れない人はぶっちゃけ・・・①
同じ立場で働く、二人の女性事務員さん。Aさんはとても謙虚で柔軟な対応ができる人でした。かたやBさんはとても自己中心的で、仕事に自信を持っているのか自分以外の人の非を許さないような人でした。
ある日、社内トラブルがあった時のことです。Bさんはいつものように「自分の責任ではない!」と言い張り、他の人のせいにしたり、ガンとして謝らない態度を崩しません。
トラブルは最終的に問題はお客様にもおよび、激怒させてしまいました。にもかかわらず、Bさん「Aさんのせいじゃないの?」とか「自分に非はない!そういうミスは絶対にしません!」と、自己主張の一点張り。
しかし、入念な調査の結果、その頑なな態度をするBさんのミスであったことが判明したのです。
謝れない人はぶっちゃけ・・・②
散々、人のせいにし、大騒ぎし、Aさんをも攻撃し、お客様をも怒らせ、感情的にもなった後に、自分に非があったとわかったわけですが・・・Bさんはどうしたと思いますか?
気まずそうにしながら、ただ「あっそ・・・」とだけ。自分に非があったことに対し、最後まで謝罪をしませんでした。
一方、Aさんは、トラブルが起きてから、自分に非がないとわかってはいても、「絶対はない」と思い、最初にお客様に謝罪をして、また、散々攻撃されたBさんにも謝罪し、「原因を調べてみます」と平和的な態度で対応していました。
双方の対応や行動を見た時、Bさんがあまりにも滑稽で・・・ぶっちゃけ痛い人でした。この出来事のおかげで「私は謝れない人にはならないようにしよう」と固く誓いを立てました。
自分のことは見れないから
子供の頃、親や先生に「相手の立場に立ってみなさい」と、教えられたことはありませんか?当たり前に言われる言葉でも、大人になればなるほどそれができなくなっていきます。
相手の立場に立つと、何が見えるのか?そう、自分が見えます。客観的に自分を見ることができるのです。
自分を客観視すると、もしかしたら、子供っぽい主張だったり、偏った理論だったりと、見たくないないものが見えるかもしれません。
ですが、自分を客観視することによって、非に気付き、認め、素直に「ごめんなさい。私が間違っていました」「私にも非がありました」と、謙虚になれるものです。
人を攻撃ばかりする人は、視点が相手の落ち度ばかりに目が行きます。視野は狭く、視点も低く、想像力もない・・・最終的には「私がひどいことをされた」と、まぁ歪んだ物事の見方になってしまうのです。(Bさんみたいに・・・)
「知っている」と思うと成長は止まる
ここまで書いておいてですが、ぶっちゃけ私自身、20代30代の時は短期だし、頑固だし、自分が正しいと思っていたので、視野がとても狭かったと感じます。
40代の10年間で、「世界は広く、こんなにも沢山知らないことがあるのだ」と途方にくれるほど実感しました。そして、知れば知るほど、勉強すればするほど、「自分は無知なのだ」ということを思い知らされました。
今でも「まだまだだな」という自分に向き合っています。コーチング手法では、客観視するワークがたくさんあるため、外から自分を見つめることができ、コーチからのニュートラルなフィードバックをもらうことができます。
私たちは、最も身近な存在である自分のことが、一番見れません。だからこそ、客観視は本当に必要な作業なのです。
謙虚さと柔軟さを備えた、美しい人になろう
いかがでしたでしょうか。自分の信念を持つことと、「自分は正しい」と頑固になることは違います。
歳を重ねるとそれだけで思考が凝り固まってしまいますから、頭も心もやわらかく、謙虚な姿勢を忘れずに、かつ、器を広く持って対応できる。
そんな美しい人になっていきましょうね。