弱いは強み
弱い人というのは・・・
ここで言う「弱い人」というのは、本当は弱いわけでないのですが、わかりやすいようにあえて、この言葉を使っています。気が弱いとか、体が弱いとか、頭が弱いとか(あ、これ私 笑)地理に弱いとか、色々ありますね。結論から言いますと
弱い人は誰かに支えてもらって、その支えている人の存在価値を高めていることもある。強い人は、弱い人を支えることで、何らかのご奉仕をさせてもらえる立場になることができている、ということなのです。
つまり、自分がある分野において「弱い」ということは、誰かの役に立っている、ということ。逆に、強い人は強い人なりの弱みもあります。
強い人に憧れている弱い人からしたら、強いのに弱み?強いんだから弱みなんてないのでは?とか思われるかもしれませんが、強い人の弱みというのは強いがゆえに、「あなたなら大丈夫よね」と助けてもらえず、何でも一人でこなさなければならない人も多いでしょう。
「助けて」と言えればいいのですが、強い人という認識を、周りからも思われている、自分のセルフイメージも強い自分なので、弱々しい感じがいやだと思う気持ちが、人に弱みを見せられないという、弱みであったりします。
弱い人は、実は弱くはないと冒頭に書きましたが、弱く見えるひと程、忍耐強く、そして、淡々としていて、感情を素直に表すことができて、つらい時に「つらい」と言うことができるので、誰かの力がある、つまり結局強いのです。
そして、それが誰かのためにもなっていてて、支えている人は、自分が誰かを支えることで自分の存在意義を認めたり、自己の重要感を感じたり、はたまた、他の人のために何かをしている、というのは気持ちがいいものなのです。
弱い人は、強い人の気分をあげることに寄与しています。なので、「できない、助けて」と言える人はそれでいいのです。
人は補い合って生きている
強い女性から見たら、「男に媚びを売るなんて、それよりも自分で出来るでしょ!」なんて思われることがあるのですが、いいんですよ、思われたって。
媚びではなくて、正直に「できない」と伝えること。出来るかもしれないけど、「手伝って欲しい」という気持ちを言えることは、世の中の男性のためにもなっています。
強い女性が好きな男性ももちろんいますが、弱い女性を支えたい、と思っている男性はもっと多いはず。なぜなら男女の役割って、補い合うようにできていますから。
一般的に男性の体の方が、大きくて力があるのはなぜでしょうか?女性は、やわらかい体で男性よりも、手も足も小さくて力がないのはなぜでしょうか?
それは支え合い、お互いに無い部分で、補い合っているから。
女性は癒しを与えて、男性は力強さで女性を支えて、といった相互での関係が成り立っています。(逆もあるかもですが・・・女性が強くて男性が弱いというね)
ですから、弱さはある意味強みなのです。強い女性でも、自分の愛する人にだけ弱い、というのも、これまた、そのお相手にとっては魅力ポイントになるわけでして、やっぱり弱さは、ある意味強みなのです。
自分の弱さを誇りましょう
今、ふと聖書のある言葉を思い出しました。パウロの言葉に次のような言葉があります。「私は、弱い時に強い。大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」
パウロには「肉体のとげ」があったと自身が言っています。それが何かは聖書には書いてありませんが、もしかしたら、肉体的につらいこと、視力の弱さ、またはもしかしたら、身体に障がいがあったのかもしれないと言われています。
パウロは何度もこの肉体のとげを、のぞいて欲しいと祈るわけですが、そこでキリストがパウロに答えます。聖書の全文思い出せないので調べました。それは(二重の『』の部分がキリストの言葉です)
「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」
キリストは、パウロの肉体のとげそのままで十分だと言われています。そして、今日の記事の要点にも通じる部分なのですが、弱い人の強みというのは、この言葉を借りれば
「わたし(キリスト)の力は弱さのうちに完全に現れる」「キリストの力が私(パウロ)を覆う・・・」ここではキリストになっていますが、何でもいい。つまり弱い人は、大いなる力が弱さをカバーしてくれるのです。
とはいえ、「カバーしてください」と、宇宙にオーダーすることが必要ですが。そうすることで誰かが助けてくれます。助けてと言えるのは、実は、弱いのではなく、反対に強いのです。
強いふりして何でも出来るようにしている人こそ、実は孤独で寂しい気持ちを抱えて、顔で笑って陰で泣いている。そんな人がたくさんいます。
自他共に強い、と思っている人もまた、自分の弱さを認めることで、もっともっと強くなり、そして、誰かに頼れる、助けてもらえる、そんなお得なこともあったりします。
弱さは「強さ」になる
ここまで「弱い」と言う表現を使いましたが、大いなる力をまっとうするなら弱い人は最強ではないでしょうか。体の弱さも、肉体のとげがある人も、気が弱いのも、すべて強みに転換するものなのです。
欠点が魅力になり、つらい経験が、後に多くの人へのメッセージとなり、自分にとって欠けている、と思える部分が、実は、自分にとっての存在意義だったりすることもあるのです。
ということで、最近、めちゃめちゃ弱い私は、色んな人に助けられていて、本当に助かっています。もっともっと人に頼れば良かった・・・とこの年になってもさらに気付きました。他力本願で生きるワタナベ!笑 これからもよろしくお願いいたします。
最後に、今日の最初の画像はなぜ赤ちゃんかわかりますか?
赤ちゃんは、一番弱い立場でありながら、一番強き者、最強の存在です。話すわけでもなく、命令するわけでもなく、周りの全ての人々から助けられる存在なのです。