「弱さ」は「強さ」になる
弱いからこそ得られる周りのチカラ
年齢を重ねるにつれて、文字通り身体が弱くなったり、時に心も弱くなるものです。
反対に、試練を乗り越えるたびに知恵が身につき、強くもなっていくのだけれど、それでもやっぱり時々弱くなってしまう時もあります。
「弱さは強さ」になるのはなぜかというと、自分が弱いことで、その弱さを補ってくれる人々がいるから。
これまで本当にいろんな人々が私に手を差し伸べてくれました。
離婚してからは、元夫がやっていたことがあまりにも多かったがゆえに、そして彼が居なくなったことで、仕事の滞りが出てしまうことがありました。
しかし、彼が居たスペースには、たくさんの人が私のサポートに入ってくれました。そして今はシンジという素晴らしい右腕的存在に助けられています。
空いたスペースが埋まる、というのは真実でして、古い滞りのエネルギーは重くなり、あとでもっと回らなくなってしまうものです。
私の欠点を埋めてくれた人々、私の弱い部分をカバーしてくれた人々には、本当に感謝しています。
弱った人にかける言葉を自分にもかけよう
人に頼ることがしんどいと思って生きていますと、一人でなんでもこなせる強い女性になってしまいがちで、そうやって生きていると誰も助けてくれなくなります。
パートナーを望んでいるのに、なかなか現れない人は、自立し過ぎてる強い女性が割合的には多いです。
甘えられることも、しんどいって言えることも、寂しい、会いたい、苦しい、助けて!と言えること。自分の弱さに気づき、それを伝えられることは逆に強さでもあります。
人は往々にして、他人がつらい目に遭っている時や、 他人が落ち込んでいる時には、とても優しく接していくことができます。
そして「そんなことも、あるよね」と、言葉をかけてあげることでしょう。その言葉、自分自身にもかけてあげて欲しいと思います。
しかし、自分がつらい時は、我が身を省みず、自分を責めたり、向上心ゆえなのかもしれませんが、「ダメな自分だ」とか「周りの人たちはすごいのに・・・」など、いらぬ1人反省や、自分を攻撃してしまう人たちもいます。
自分に自信のある人、そして、その反省が次なるステージアップ、活力に変えて、前に進む人はしてもいいのですが、自分はネガティブ思考だな、と思う人は特に、一人反省会はいりません。
自分が弱いときは、まず自分を一番慰め、自分に一番優しくしてあげることが最優先。私は本当に自分に優しいです。厳しくしません。
自分に厳しい人はやっぱり他人にも厳しくなります。自分が自分に厳しかった時に、他人にも相当厳しかったですから。
もちろん、過信は禁物だし、自信過剰にもならぬよう、足もとは見守ってはいますが、それでも、他の誰よりも我が身を大切にしていると思います。
強さは弱さであり、弱さは強さ
私は自分の弱さがわかっているので、他人がよろけそうになっても、世間一般で言う「間違い」とか「道を外した」とかいう時でも、ジャッジしたいと思いません。
それが当人の学びであることは、自分の経験からもよくわかっています。だから自分が弱い時は、自分の強さを知ることができる、ということなのです。
自分は強いと思っていたのに、自分の弱さをまざまざと見せつけられたりもします。ですからまずは、自分の弱さも強さも認め、自分には一番優しく、顧みて、喜ばせ、失敗しても、怒りが爆発しても、悲しくて立てなくなっても
「そんなことも、あるよね!」と、自分を励まし、大切にするのです。
人間ってそんなに強いのか?そして、人間ってそんなに弱いのか?強さは弱さであり、弱さは強さであったりするのです。どんな弱い自分も受け入れながらも、まず、自分に優しくしてください。
弱さを受け入れ天のサポートを
最後に、自分が弱い、ということを知っていると別のいいこともあります。
見えない何か、神様だったり守護神様だったり、スピリチュアル依存ではないまでも、祈りの力も偉大で、人間の力では何ともできないことに対して、天に問題を放り投げることができるので大きな力を得ることになります。
それが、弱さは強さ、の意味するところ。
弱いのもなかなかいいものです。女性が弱いと、男性が手を差し伸べてくれます。強いと、はねのけてしまいます。石油王に出会えたあかつきには、ワタナベ、弱い部分を全面に出していきます(いざってときに備えて、リサーチしておかないと!笑)
弱い部分を武器にする、ということではなく、弱い部分を大切にして、「それもまた自分の一部だな」と受け入れると、さらなるサポートが入り、結局、それが強さになっていくのです。