人生の宝~真の友という存在~
誰にも頼れなかった独身時代
私が若いときは時に、薄い人間関係の中で生きてきたので、親友と呼べるような人もいない時期を長く過ごしました。
しかし、勤めていた時はその人間関係の中で無理して関わったり、一人でゆっくりしたくてもみんなに合わせ続けて・・・つらいし、しんどいし、体調を崩し風邪もしょっちゅう引いていて、もうフラフラになりながら出勤したことも何度もありました。
当時、独り暮らしでお付き合いしていた彼と別れたばかりの時、ひとりっきりで熱を出して寝込み、かなりしんどくて、でも誰かに頼むことができない・・・そのあたりに、ストレスが高じて子宮内膜症になったことがありました。
夜中に子宮がわしづかみされているような痛みが走り、体をまっすぐにすることもできず、夜中にひとりで救急車を呼び、病院運ばれて、親にも連絡せず、一人で病院から家に帰った時は、もう情けなくって情けなくって。
あの時は本当にボロボロで、しんどかったです。
何か食材を買いに行く力もない。でも栄養を摂らないもんだから治りも相当遅い。でも、周りから「大丈夫?」って聞かれると「大丈夫!」と笑顔で答えるものだから、心と体のギャップで壊れる感じ。
心から「素直に生きなきゃ」と思ったのはブログを始めたあたりからでした。
本当の私と関わってくれる存在
前章から少し重い話しになってしまいましたが、私はもともと陰の気質、内向的なタイプなので、人と一緒にいるよりはひとりで居たり、心を許す誰か1人と一緒にいるほうがパワーチャージできるタイプです。
昔は無理して周りとあわせて、終わるとげっそり疲れていたのは、本当はそれが私のエネルギーを奪うことだったから。
ここで言う内向的、外向的は、疲れを取りたい時に、1人で居たほうがパワーチャージできるか?(内向的) 人とワイワイしたほうがパワーチャージできるか?(外向的)という意味です。※外交的と外向的とは意味が違います。
私は人と一緒にいるときのほうが疲れるタイプでして、ひっそりと家で寝ていたほうが疲れはとれます。
そんな引きこもり体質の私でも、今では私を支えてくれる、助けてくれる、真の友がいます。その人々とは利害関係がないので、お互い素で付き合えます。
それらをひっくるめて、いつもいつも私の状態を陰ながら見つめ、いざとなると、すぐに助けを差し伸べてくれる、友の存在は本当に本当にありがたいのです。
今はその人々のおかげで、私が苦しんでいる時は、私よりも先に涙を流してくれたり、楽観的にしてくれたり、慰めてくれたり・・・
人生の後半になり、やっと真の人間関係を得て、それは本当に人生の中でありがたいことなんだと実感しています。
しんどい時は「しんどい」と言う
私も身をもって経験したので、特にお伝えしたいことは、心身共に本当につらく、しんどいときは、壊れる前に誰か心を許す人に、「私、今しんどいの」と言えることがとても大切です。それは、カタルシス効果(心のつらさの浄化)になっていくから。
「私、今、すごくしんどいの・・・」と打ち明けて、相手が「しんどかったんだね・・・」と受け止めてくれただけで、一気に心が軽くなったりします。
中々自分のつらさを相手に言えない人は、大抵の場合、優しすぎる、または、先回りして考え過ぎる傾向があります。
「こんなことを言ったら、相手まで重い気持ちにさせてしまう」とか「愚痴を言っているみたいで、何となくいやだ・・・」とか、勝手に自分で判断してしまっています。
しかし、自分のしんどさを吐き出すのは、愚痴とは全く別物、天と地ほども違いますし、打ち明けられた人は、自分が頼られていることを感じて、「助けになりたい!」と思ったりもするのです。
それによって自己の重要感を満たしたり、承認されたような気にもなったりします。
もし、今しんどい状況にある人、つらい状況にある人は、ご自身が信頼する人に、そのつらさを半分持ってもらってください。聖書の中にこのような言葉があります。
「真の友はどんなときにも愛するものであり、苦しみを分け合うために生まれた兄弟だ」
「誰にも言う人がいません、」とおっしゃる方は、誰にも言えない、という思い込みを外してみることです。誰をも信頼できない、と思っている人は、誰にも信頼もされません。
信頼できる人と出会うなら、まずは自分から人を信頼してみること。そこでもし、誰を選ぶか間違っても、それは経験です。いちいち落ち込まず、「次!」です。選び間違うことは誰でもありますから(私も間違った経験あります)
人生の幸福度はお金でも健康でもなく・・・
お金があっても、健康であっても、人数は多くても希薄な人間関係などは、あまり幸せとは関係がないのだなと、経験すればするほど感じます。
良い時、悪い時を両方同時に経験しても、悪い時を和らげてくれる友人たちには、足を向けて寝れません。
人生の宝は人それぞれ違うかもしれませんが、一つだけ共通して言えることは、あたたかい人間関係があるかないかで、人生の幸福度はまったく違う、ということです。
これまでに人生の良い時期と悪い時期、天国と地獄、どちらも味わってきました。
意識の向けどころは良い方に向け、悪い時期からは、教訓と学びを吸収し、どの経験も実のあるものに転換できたのは、友のおかげでもあります。
豊かさは、お金よりも人間関係にある、ということを切実に感じた一年でもありました。そして実は、そういう時に金銭的豊かさが生じやすいのです。それには理由があります。
ヒントは上記で書いた、幸せはお金でもちょっとは感じることができますが、一番幸せを感じさせるものではありません。ですが、お金は幸せな人のところに集まりやすい、という性質があります。(その話はまた別のときに)
人生の中での宝を数えたら、両手では足りないくらいたくさんありました。その中には、真の友だけでなく、もちろん、毎日ここに来てくださっている読者さんがいます。
本当にありがとうございます。