常識を疑ってみる~あなたらしくあるために~
コップは水を飲むだけのものなのか?
さて、今日の記事は、つい「常識」というものに捉われてしまいがちな日本人の特性に対して、考えて欲しい、と思うことについて。
例えば、ほとんどの人は「コップは水を飲むもの」と認識しています。
本当はもっと使い道があるのに、それでも「コップは普通、水を飲むものでしょ。それ以外の使い道は変だよ」と思う人、言う人、叩く人、ジャッジする人がいます。
ある人は、コップを花瓶代わりに使うかもしれません。しかし、それを見た別の人は、おかしいよ!普通コップは、水を飲むものなんだから!と言う。
コップを花瓶代わりに使っちゃダメですか?ペン立てになんかしたら、バカ?キャンドルホルダーなんかにしちゃったら、もう変な人?メダカなんか入れちゃったら、人間失格?・・・なわけないですよね。
しかし、案外似たようなことで、人間は「常識」というもので他の人間の思考と行動をジャッジし、人の行動や言動に制限をかけたりします。
それは、他人だけでなくて、自分への制限、リミットをかけて行動できなくしているのです。つまり、人は自由である、ということを認めていない証拠です。
一般的に「常識」と言われていることを疑ってみると、世界が広がったりします。極端に取る人もいるかもしれませんが、柔軟に捉えてみてください。
常識とは偏見のコレクション
まず、和をもって他者との関わりを大切にする日本人の特性は、とても褒めるべき点だと思います。
しかしながら、個性を殺したり、自分の言いたいことを他人目線を気にするあまり、表現できなかったり、または言わず我慢したり・・・などの方、多くお見受けします。
「もっともっと人と違っててもいいのに」と私個人は思うのですが、私たちは小さい時から、他人に迷惑をかけてはいけない、他人を困らせてはいけない、わがままを言ってはいけないと。
中には、目立ってはいけない、ズバ抜けてもいけない・・・などの他人との関係性を優先してしまうような教育を施す人もいます。
この思い込みこそが、個性をつぶし、他人目線ばかり気にする人間になってしまい、自分で自分を認められない、自尊心が欠けた人になってしまうのです。
「常識」って意味ないことも多いのですよ。アインシュタインの言葉を借りればこうです。
「常識とは18歳まで身に着けた偏見のコレクションのことを言う」
~アルバート・アインシュタイン~
一般的に言われている常識って、まさに偏見のコレクションです。常識とは、国と時と場所が違えば、ただのそれぞれの価値観。
それぞれの価値観がまさに、「常識」という名で鎮座しているわけですが、全部それは偏見だと言われれば、そうなのかもしれません。
自分の価値観は自分で決めていい
日本人にありがちな「常識」を考えてみますと、例えば
・大学を出たほうがいい
・女は結婚して子供を産むもの
・女は家に入って家庭を守るもの
・夫が外で働いて女が家庭を守る
だいぶ時代は変わっているとは思いますが、まだまだ男女にまつわる無意識の偏見はいたるところに「常識」として現れています。もっと言えば、常識とはちょっと違いますが、周りの人々の影響を受けたこんな思い込み。
・イベント事(クリスマス・誕生日)に1人で過ごすのは寂しい
・飲み会に誘われたら付き合いだから参加する
・やりはじめたものは、途中で投げ出してはダメ
・独身女は寂しいと、勝ち組とか負け組・・・
こういった、思い込みと流行りを信じた者だけが、そういう基準の奴隷となり、世間体に縛られてたり、他人目線で自分の人生を楽しいとか楽しくないとかを決めてしまう。実におかしな話ですよね。
法を犯さない限り、自分ですべての基準を決めていいのです。常識は、アインシュタインの言う通り、ただの偏見。大抵の場合、親や周りの大人たちからの刷り込みなのです。
もちろん、マナーや他の人に不快感を与えるのはいただけませんが、それでも、世間一般で言われていることを鵜呑みにする必要はありません。あなたは自分の人生を自分で決めていいですし、自分の価値観は、自分で決めていいのです。
独身女性で自立しているなんてむしろ私はかっこいいと思いますし、中には、結婚している人で離婚をしたくても経済的自立がなく、離婚できないでいる人もいます。
これだけでも、結婚が幸せ、という図式は既に崩壊していますよね。
「あなたらしく」をもっと
最後に、これまでに偉業をなし遂げている人たちというのは、一般的に信じられている常識を打ち破った人が多いのです。
「常識」国が違えば違うもの。家庭が違えばこれまた違うもの。そして、価値観、信念はそれぞれ違いますから、それをジャッジする必要はなく、「あなたはそう考えるのね」でいい。
コーチングでいうニュートラルとは、その中庸の立場です。自分の考えがないわけではなくて、その人の考えや常識はジャッジもせず、それがその人の真実なのね、ということ。
そう思えると、自分と価値観が違った人に直面しても、心穏やかでいられるのです。誰一人同じ人間なんていないのですから。
あなたがあなたらしく、あなたの喜ぶことを求め、あなたが楽しく生きることこそが、周りの人々へのいい波動が伝染していきます。
誰に邪魔されることなく、あなたは幸せでいいし、誰の指図を受けることなく、自分の基準は自分で決めていいっていいのです。