強い女性へ「もっと弱音を吐こうよ」
時に弱音を吐こうよ
強い女の代名詞ワタナベ薫がお送りする今日のブログテーマは、「時に弱音を吐こうよ」です。
私は、強靭なメンタルの持ち主だと思われることもありますが、全然そんなことありません。結構弱い時は弱くなります。今年、弱音を吐いたことが何度もありました。
つらい、しんどい、悲しい、無理、もうダメかも・・・まぁほとんどは仕事のやり過ぎなんですけどね(笑)ワーカーホリックですから。
でも、弱音を吐ける場所があるって、本当にありがたいと思いました。救われましたし、弱音を吐いている自分が愛しくさえ思いました。
もちろん、時に、強くなければならない場面というのがあるのかもしれません。でもそれもまた思い込みだったりもします。というのも人間は、関わる人と常にバランスを取ろうとする生き物です。
誰かがダメダメな人間だとすると(ダメダメって本当はないですけどね)その人と関わる人はしっかり者になりますし、いつもキチンとしている人と関わる人は、案外ダメダメになってきたりします。
できないのでなくバランスを取っているだけ
以前、ある人にこんな相談をされたことがあります。自分の弟が上京してきて、暮らしが大変だから一時的に一緒に暮らすことになったそう。いつもダメダメな弟の面倒を子供の頃からみていたそうです。
一緒に暮らし始めたら、やっぱり弟は何もしない。食べれば食べっぱなし、使えば使いっぱなし、自分の洗濯もしないから、結局弟の分の洗濯も自分がやってあげている。
自分がやらなければ部屋が汚くなるし、弟はちゃんとできないから・・・と言って、弟の世話をするのが負担に感じていて困っているとのことでした。
私は「弟の世話、何もしなかったらいいんじゃない?」と伝えたら、そしたら彼は着るものもなくなるし、食事も自分で作れないからインスタントばかり食べて、健康に悪い・・・私が世話をしなきゃならない」って言うんです。
お互いいい大人なのに・・・一生面倒見る気ならやってたらいいのですが、弟が困るのは自己責任で、その人が困ることはないんですよね。つまりその人が何でもやってしまうから、弟はバランスをとって何もしなくなるのです。
それで結局、世話をやめてみたそうです。自分でやってくれと頼んで、洗濯もしない、食事も作らない、自分の分しか片付けない、それをやり続けたら、弟は自分でやるようになったとのことでした。めでたしめでたし・・・
同じく、しっかり者、いつもちゃんとしている人、キッチリやる性格、強い人間をやっていますと、周りがバランスをとりはじめ、その逆に走ります。
しっかり者の親の子供は結構アバウトだったり、アバウトな親の子供はしっかり者だったり、おしゃべりな夫の奥さんは、聞き上手だったり、強い女性の彼氏は、依存型だったり、
ほどよく弱音を吐ける部分を正直に周りの人に見せていますと、結構周りは助けてくれるものです。
「強い」と「強がっている」は違うから
今日のタイトルである「強い女性」。元々の資質が強い人がいますが、実際の所、いつもいつも強いわけではないでしょう。弱い時もやっぱりあるし、強いのでなく「強がってしまう女性」は本当に多いです。
とある女性経営者の話ですが、彼女は理想が高すぎて、お付き合いも皆無。そんな中、友達がどんどん結婚していきました。
つらかったと思います。そのつらさが表情にも表れていました。誰かの喜び報告を聴くたびに、「良かったね」と言いつつも顔のひきつりは隠せませんでした。そして、彼女はこう言うのです。
「結婚しても家事が2倍になるし、私は別にひとりでいいかな。すごくいい人が現れれば考えるけど」と、彼女は「結婚しなくてもいい」と常に言っていました。
結婚していない、とか、彼氏がいないってだけで、世間のレッテルは「モテない人」みたいに思われる・・・そんな周りの常識に振り回されて、肩身の狭い思いをしている女性たちがついつい強がって言ってしまう言葉。
「一人が好きだし、結婚ってめんどくさいじゃない?別にひとりでもいいかな」
しかし、上記のように強がって言うことによって、結婚できないのではなくて、結婚しない、をあたしは選択しているのよ!だから独身なのよ!・・・ということを周りの人に強がって言ってしまう場合、結果どうなると思いますか?
なかなかご縁はないです。だって、そう言っちゃってるからね、言っている言葉がそのまま叶ってしまっているわけです。
弱さ、寂しさを隠したり、強がる自分を見せ続けたりせず、弱音や本音を吐けるようになりたいものです。そうしますと、周りが助けてくれたり、いい人やご縁が繋がったりしますから。
弱みも苦手も魅力的
最後に、私もですが女性で経営者をやっていますと、結構強くなってしまいがちです。
しかし、頼れるところには頼り、弱みも苦手もみせつつ、甘えられるような、そんなところも持ち合わせていたいですね。人間は完璧でないところが魅力的でもあります。
私はこれからも弱い部分やつらい、悲しいを最後には笑いに変えて(やはり楽観主義だからか笑)と、それができるのも、私の弱い部分を受けとめてくださった一部の皆様のお陰です。心より感謝申し上げます。