美しく生きる~品ある女性であるための美学~
40歳以降の美しさは品にあり
若いときは、もう何でもありでして、品などなくても、元気で笑顔がかわいくて、素直であれば、若さゆえに何でも許される、そんな時期もあったかもしれません。
しかしアラフォー、アラフィフ、アラカンにもなりますと、そうはいきません。特に品は大切になります。生きる上で自分の格を上げる、その格とは、品格のことです。
これに関しては意識しないと、歳を重ねれば重ねるほど我が強くなっていき、それに伴い、品がなくなっていきます。
それは人としての経験値が増すものですから、謙虚さがなければ、変な自信がついてきてしまい、品までなくなっていくのです。
40過ぎますと、品の無さはありとあらゆるところに現れます。
立ち居振る舞い
言葉の端々
行動
文章
顔立ち(特に口元と目つき)
姿勢
服装
お肌
・・・とにかく、外側にダダ漏れになってしまいます。どんなに言葉で装っても、どんなに美しい服装で装っても隠しようがないのがこの「品」。
お里がバレるなんて言い方もしますが、私は品のない家庭で育っていますゆえ(笑)特に、気をつけないと・・・です。
美しく生きる、とは?
さて、美しく生きる、と言ってもそれぞれ定義が違うことでしょう。質問しますが、あなたにとって美しく生きるというのは、重要でしょうか?
重要だ、大切だ、と回答された方、あなたにとって美しく生きるとはどういうことを表しますか?
他人に親切にすること
礼儀を忘れない
感謝をあらわすこと
ウソをつかない・・・etc
それぞれの生き方の美学、というものを持ち合わせていることでしょう。
その美学を明文化しておくことで、感情が爆発しそうな時も(時には感情的になることも大切ですが)、何か試練があり自分を見失いそうな時も、明文化された文章はあなたを支え、そして、その自分の持つ生き方の美学から外れずに生きる事ができるでしょう。
大人の女性ですから、いつもいつも子供のように感情を爆発させ、ダダをこねて、泣いたりわめいたりするわけにはいきません。
とはいえ、たまには私もそういう時がありますけどね。そんな感情的になる自分もOKとしています。
それは、完璧ではない自分さえも割と気に入っていて、愛おしくて、人間らしくて好きだからです。
人間の幸福を左右するもの
私なりの美学の一つに、思いやりを示せる人であること、というのがあります。なぜなら、人間の幸福を左右するのは、人間関係だからです。
ハーバード大学の心理学者ロバート・ウォールディンガー氏は75年にわたって700人以上の人生を観察する研究を行いましたが、その結果は「どんなに恵まれた環境でも愛情ある人間関係にはかなわない」というものでした。
その人間関係の土台となるのが「思いやり」です。
思いやりとは辞書によると、「その人の身になって考えること。察して気遣うこと。同情」(大辞林第三版)と書かれています。
類語で見てみると、「親切な気持ち」「人の苦しみへの深い理解と同情」「他人のために尽くす心」「他人を慮(おもんぱか)ること」「他人がどう思うかを考える心」とありました。
だからといって、自分のことより他人のことを優先しがちで、我慢を強いてしまう傾向とは意味が違います。自分の心が疲弊するほど、他人を優先すべきではありません。
自分をいたわり、自分を喜ばせることは、他人にもよい影響があります。なぜならば、あなたの精神が健全な状態を保つことができれば、他人にも優しくできるから。
まずは自分の機嫌を取る、というのは心地よい人間関係を構築するために大切なのです。
その上で、他の人に対して親切にしたり、思いやりの気持ちをもって接したり、見返りを期待しない善行を行うことができるかもしれません。
まずは、人が嫌がることをしない、という前提があって、そして相手にとって有益なことをする、ということです。
試練の時こそ自分が問われる時
こういう仕事をしていますと、他人様から暴言が送りつけられたり、人とは思えないような、剣で突き刺すようなメール、コメントが時々入ります。
吐き出して、自ら品格を落として、自分は相手に言ってスッキリするからいいと思っている利己的な人を見ると、自分の中の「美しく生きたい」という感情が明確になります。
そのようなメールやコメントで落ち込むことも、怒ることもほとんどなくなりましたが、メールやコメントを貰った時、私の生き方の美学には
他人には決して、人を蔑むような言葉を直接相手に言わない (思うことは多々ありますが)闘わない、そして、何か言葉を発する時には、受け取る側の気持ちを考えてみる、と決めています。
他人にひどいことを言われた時やされた時、試練の時こそ、自分の本質や本性、そして生き方が問われるのです。
もちろん、時に暴言を吐くことがあったとしても、そのキッカケで、自分の中にある軸や価値観を見直すことができます。
ですから、暴言を吐きたくなるその状況を甘んじて受け入れるようにすると、何かが見えてくるかもしれません。
今日の記事を書いて、改めて私は、美しく、かっこよく生きたいのだと再確認しました。そのためにはまだまだ学びが必要で、抜けていることも多々ありなので、気をつけたいところです。