相手に放った「負」の結末
人は別れ際に本質が現れる
性格が合わなくなった、仲が良かったけれど、自分が変わった、はたまた、相手が変わってしまった、価値観が違っていた・・・
このような理由で、仲が良かった恋人同士でも夫婦でも、はたまた長い短いにかかわらず友達同士でも、そういうことはよくあることです。長い人生の中ですから。
そんなとき、開き直ったほうが相手に言いたい放題言ってしまった、なんて経験をしたことがある方も多いかもしれません。
特に家族間であれば、口に衣着せぬ状態で非難罵倒、暴言吐きまくりのこともあるかもしれません。(私は言うも言われるも経験あり・・・)
友達同士であれば、ただ離れることを選択する人も多く、よっぽどの粘着体質でなければ、そんなにしつこく相手に悪口を言ったりひどいことを言い続けたりはしないかもしれません。
何はともあれ、このような人間関係が切れる寸前は、本当にエネルギーを使うものです。
前々から何度も本やブログで書いていますが、人は別れ際に、その人の真の姿や本質、そして品格が現れます。
悪口は結局、品格を落すもの
拙著、あなたは、「別れ」でもっと輝ける!にも書きましたが、たとえ、浮気されてボロボロになって離婚をしたとしても、子供の前で、共通の友人の間で、元夫の悪口を言いふらしたり、相手を落としているつもりが、結局自分の品格を落とすことになりかねません。
唇には、門番を立てたいものです。
そして、特に別れた夫の悪口を子供に吹き込むことは、子供の潜在意識にも悪影響を及ぼします。今はそう見えなくても。
母親が悪口言っているその父親の血を自分は引き継いでいるのだ、と奥底にインプットしていることにもなりかねません。
56年生きてきてわかったことの一つとして、勝ち気な人というのは、このような状況で、自分が最後に言いたいことを言って終わらせたい、という傾向があります。(特に、自分の感情をコントロールできない人ね)
精神疾患を持っている人の傾向でもあり、自己性愛者もその傾向があります。相手が黙るまで、ずっと言い続ける。最後の締めは自分がひどい言葉を浴びせて終わらせたい、というやり方。
勝ち気な人が自分に有利な言葉で終焉がくるまで、その戦いは続くのならば、最初から暴言吐かれても相手にしなければ、その後に続く、無駄なエネルギーを使わなくてもすむので、早いところ無視して、頭にきても戦わないことです。
放ったものは返ってくる
では、そのぶつけられたそのドロドロした悪口や暴言を、あなたが無視したら、どうなるのでしょうか?
放っても放っても矢が突き刺さらずに、スルーしていき、その矢は地球上を回って、結局放った相手に返っていきます。
もしくは、「相手にしない」という非常に膜が強いフィルターにより、その矢を跳ね返して、矢はまた放った人に戻っていき、結局その矢は放った本人に突き刺さります。
要は、相手にしないということが自分で仕返しをしなくても、相手にとっての最も手痛い復讐になります。
「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。復讐は私(神)がすること」と、聖書の中にも記述があります。復讐なんてすごい言葉ですが、別に復讐したいとも思わないことでしょう。スルーでいいのです。
では、あなたがその相手と不毛な戦いをし続けたらどうなるでしょうか?
エネルギーを使い、無駄に消耗し、心身ともに疲弊していくのです。さらに言えばイライラが伝染し、ほかのうまくいくことすらうまくいかなくなるのです。
放った負は、回りに回って自分の身に戻る。これは法則ですので、気をつけないといけません。そして、放った善に関しても同じこと。
人間関係、この事がわかっていますと、無駄なエネルギーを使わないで、もっと建設的なことに時間を費やしたいと思うようになります。
無敵の本当の意味
こんなことを書いている私ですが、昔は沸点が低かったので、喧嘩っ早かった・・・そのあと人間が少し壊れてしまい、他人に自分の意見が言えない時期も経験しました。
今は、多少のことでは怒っていられない、というか、いちいち怒っていると仕事が滞るので、頭にきても、スルーすることがほとんどです。
以前、ある尊敬する男性がいまして、右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出すような、まるでキリストのような人でした。
その方、 「バカは相手にしない。本当に強い人は闘わない強さを持っているんだよ」とおっしゃっていましたが、その影響を私も受けているのかもしれません。
バカという言い方は、失礼なのかもしれませんが、誹謗中傷を陰から匿名で投げつけてくる人よりはマシかとも思います。
相手からぶつけられる負や、戦いという不毛で無駄なことはスルリとかわして、それよりも自分の「好き」で生活を潤わせていきましょう。
闘わないという意味の「無敵」になる、その方がよっぽど心地よく生きていけると思いませんか?