人間は致死率100%。だからこそ
生きているうちにやったもん勝ち
この地球上に住んでいる私たち人間は、誰もが必ず、日に日に死に向かっています。
若いうちはそんなことを考える余地などないかもしれませんが、身近な人の死や、災害などで亡くなった方々がいたりしますと、生き方を見つめ直すことがあるかもしれません。
亡くなった方は、今生の役目を全て終え、また元いた場所に戻って行くわけですが、まだ生かされている私たちは、自分の人生の役目がまだ終わっていない、という意味なのでしょう。
ま、いろんな教えや、考え方がありますが、私はその考え方を今のところ採用しています。
なんか、自分がまだまだあちらの世界に行ける気がしないのは、全然、自分の分(役目や学び)を成し遂げていないからでしょう。
人は、今ではなくてもどうせいつかは必ず最後を迎えます。人間の致死率は100%なわけで、自ら命を断たなくても、終わる時には終わるのです。
ならば、生きているうちに好きなように生きたもん勝ちだな、と。やりたくて我慢していることがあれば、我慢せずやってみる。やれないなんて決めつけないで、可能性が1%でもあれば、もう、やってみること。
年齢も、時間も、お金も、実は関係なくてね。自分が「やる!」と決めるかどうかだけです。
どうせいつか死ぬなら、もう誰かの目を気にして誰かにコントロールされているかのような人生を送るなんて本当にもったいない。
しかも、相手がコントロールしているのではなく、実は、自分が勝手にコントロールされていると思っているだけです。
断る勇気~その時間は大切な人生の一部~
例えば、お断りをすること。これがもっとできれば、人生も思考も時間管理ももっともっとシンプルになっていきます。
なんでもかんでも引き受けていたら、時間もお金もなくなりますし、自分の時間が持てなくなるので、そのうち疲弊してきます。
しかし、なぜ断れないかというと、それは簡単なことで「嫌われたくないから」。
日本人の傾向は、人と違った意見を持つことをを否定と否定のように取りますし、さらにお誘いしたことを断る、というのも、否定と取る人が多いのです。
誘われた人は、「せっかくのご好意だから…」「付き合いもあるし…」などのように、行きたくもない、やりたくもない、自分の意志とは逆のことを無理してでもしようとします。
優しい人ほど、他人の誘いを断れないのですが、「もっと自分に優しくして」と伝えたいなと。短い人生ですから、そちらのほうがより重要なことです。
付き合いで引き受ける場合は、それは、自分のためである、と理解し、「自分が行きたくていっている、もしくは自分がやりたくてやっている」と視点を変えましょう。
その貴重な時間は、あなたの人生の一部なのですから。
自分の人生を歩むことは自分も周りも幸せにする
人間関係も、もしあなたの周りに嫌な人がいたら、その人は、学びの最中だと思ってみてください。
相手はそこから刈り取られるものを知らずにしているのでしょうが、それらがいかに愚かなことであるかを知るのは、死ぬまで待たなくても、いずれ分かります。
でも、それを経験しないと次には進めないのだから、それはそれでいいのです。
そして、そうした人は、自らの学びに気付くか気付かないかの、経験をしているのですから、それまたそれでいいのです。その人の人生、その人のもの。
だから、自分の人生を歩むこと。他人を変えようとするエネルギーをムダに使うよりも、自分のことにフォーカスして好きに生きていた方がよっぽどいいのです。
好きなことをして、笑って、心地よく生きていれば、あなたの願いは全て叶います。
これはスピリチュアルでも夢物語でもなく、あなたの心地よい感情と思考は、周波数が変わり、それと同じような事象が起きます。
その状態で、やりたいこと、理想のこと、叶えたいこと、そして手に入れたいもの、望むこと、願望にフォーカスしてみて下さい。
他にも、直感で「やりたい」と頭の片隅をよぎったことは、「やりなさい!」とか「やってみたら?」という自分の内なるところからの指示だったりします。
今のあなたの人生は、たった一度限り。だから、誰に遠慮することなく、やりたいことをやればいいのです。
そして、あなたが笑って楽しく生きることこそが、間接的に周りの人のためにもなり、人生の役目を果たした状態になっていきます。
すべて自分の人生だから
いかがでしたでしょうか。私自身、このことを今じゃなくて、20代の時に知りたかった・・・とも思うのですが、きっと今がベストタイミングなのでしょうね。
だから、年齢を言い訳にして、やりたかったことを諦めるのはやっぱりもったいないと思います。
自分の人生を生きるために、断る勇気を持ちましょう。
人に無理にあわせることをやめましょう。
人と違っていることを恐れるのもやめましょう。
決定を他の人に任せるのもやめましょう。
なぜなら、すべては自分の人生なのですから。