贅沢が「たまに」でいい理由

贅沢が「たまに」でいい理由

贅沢も回数が増えると・・・

本日のテーマは「贅沢」について。私が経済的に苦しかった頃、実は楽しみと言ったら、たまにする外食とバックパッカー並の、年一度きりの海外旅行でした。

やりくり上手だったため、月収が十数万円でも、貯金できて、年にたった一回、チケットが安くなる時に海外旅行をする。それがすごい開放感でした。

今のマンションの前に、マンションも買いました。中古でしたがバブル時に建てられた当時は億ションと言われたマンションで、大理石をふんだんに使った玄関で、本当に作りが素晴らしかったです。

また、年に数回ですが、ロイホレベルのファミレスではありましたが、コース料理を食べるのが好きで、時間を掛けてナイフとフォークで食事を堪能し、本当に心も満たされました。

お金がない頃ですから、その食事は本当に美味しく感じました。

今は、高級イタリアンやフレンチのコース料理や、懐石料理を財布を気にせずに食べたい時に食べたり、それらをごちそうする余裕もありますが、しかし、あのときのファミレスのコース料理よりも食事に対する満足感は低いのです。

質とおいしさは、天と地ほども違うのに、です。理由は、以前よりも気軽に食べて、そしてその回数が多くなったから。

ハイブランドなバッグも時計もジュエリーも、今は、ゲーセンでクレーンゲームで何かをゲットできた喜びよりも小さいです。

つまり、贅沢は回数が増えると贅沢ではなくなり、ただの日常に化すのです。

自分に使うお金以上に贅沢なもの

何もかも、贅沢が普通になってきますと、昔のあの大きな喜びはなくなっていきます。

ですから、私は無駄にお金を遣いませんし、家にいるときは非常に質素な料理ですし、日常生活を贅沢にはしません。ただ、口に入るものは、以前よりも気を使うようになりました。

オーガニック野菜や、合成調味料もあまり使いません。何か凝った料理よりも素材の味が何よりも贅沢に感じ、味噌汁と焼き魚と漬物・・・それらが何よりもごちそうに感じます。

基本、私は食に興味がなく、高価なシャンパーニュよりもコーラが美味しいと思うタイプでして、安上がりな人間です。しかし、贅沢も好きです。それは、「たまに」という条件付きで。

友人と一緒に食事するときは年に数回ですから、ゴージャスな食事をいただきますが「すごくおいしい!」と感じるのは、愛する人たちとの会話という最高の調味料があるからです。聖書の格言を思い出します。

野菜の料理とそこに愛があれば,肥やし飼いにした牛とそれに憎しみが伴うのに勝る

年齢を重ねますと、欲がなくなってきます。そして、人生経験を重ねた結果、身近な人の死の経験も多くなっていき、死生観が少しずつ変わってくるもの。そうなりますと、生きる上での本当に大切なものが見えてくるのです。

それは、目に見えるものではない、ということ。そして物質的な喜びは一時的であり、それらが真の幸せや内なるところから湧き上がる心を満たすものではない、ということも体感でわかってきます。

ですから、お金を分だけに使うことがつまらなくなるのです。

 幸せにおいて外的な要素はほんの僅か

私は、ビジネスが好きでして、お金を数字でみた時に、マネーゲームをしている感覚があります。

お金をゲームだなんて失礼な言い方ですが、ただお金の移動をしている感覚です。そう、あるところからある場所に移動している感覚。

稼いでみたい目標値はあるのですが、それはゲームですから、達成した数字自体に、大きな満足感が伴わないことも経験する前から知っています。

それはこれまでも、何度も達成し塗り替えてきた数字に喜びも達成感もさほどなかったから。これからも同じでしょう。

ただ、達成できたな、と思うだけ。ある一定の収入になりますとそれ以上稼いでも幸福感も満足感も変わらないのです。なぜならば、それらは人の奥底から感じるもので、外的な要素は本当にわずかだからです。

ですから、私は、昔の収入とは全く違いますが、生活レベルをさほどあげていません。なので、よりたまにする贅沢が身に染みます。たまぁに、だから良いのです。

以前、年に2回海外旅行に行ったことがありました。正直、なぜか飽きました。たった二回なのに・・・

年に一回で十分だと思ったのですが、その感覚はたぶん今でも変わりません。基本、家が大好きであまり出たくないので。昔は行けないから行きたかったですが、行けるようになったら行きたくない。笑

しかし、最近は海外のこともどんどん視野に入るようにもなっています。

他には、肉が食べたかった。食べられるようになったら、食べたくないし、食べたら胃がもたれる・・・でも筋トレしてるから食べることをすすめられています。笑

「たまに」が贅沢をより引き立てるエッセンス

私が親しくしている人は、ほとんどが経営者ですが、彼女たちも同じことを言います。

「贅沢はたまにでいい。そしてそれが糧となりまた仕事頑張ろう!がむしゃらに働こう!」と思いを新たにしてまたがんばれる、と。たまに贅沢に、そして力を得たらまた動く!行動する!そしてまたご褒美。

ご褒美は、脳内で言う報酬系の部分を満たすこと。報酬は毎回ですと報酬になりません。毎回ですと、それはただの日常になり、新鮮味も快感も少なくなりますから。

そんなこんなで、やっぱり私には、非日常的な贅沢はたまにでいいのだな、と思うのです。

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