人間の本質が現れるとき

人間の本質が現れるとき

本当の人格者のふるまい

自分に対して、いい態度をする人に対して人当たりがよくなるのは、当たり前のことだと思います。誰だって、自分に対していい態度する人には好きになる、「好意の返報性」という心理が働くからです。

要は自分のことを「好きだ」と言ってくれる人は、好きになります。 

しかし、本当にいい人・人格者というのは、自分に対して悪い態度をする人に対しても、礼節を保ち、品を欠いた行為をしない人のことです。

カリスマ的な人の中には、自分の取り巻きには、とてもよい態度をしますが、その人が自分から離れようものなら、あることないことを言いふらしたり、SNSで誹謗中傷をしたりなど、急にサイコパスに転じる人もいます。

「え、あの人いい人だよ?」と信じ切っている場合は、そう言っている相手を悪い人だと思うかもしれません。しかし、それはあなたに対していい人なだけなこともあります。

周りの人々に対する態度・対応を見てみれば、その人が本当にいい人かどうかはよくわかります。近視眼的な人のほうが圧倒的に世の中には多いので、真実が多数意見のほうで、隠されてしまうことがあります。

好きな人に対して、態度が良いのは当たり前。これは決まり事であり、だからといって、その人が本当にいい人かどうかは、わからないものです。

本質や品性は常に試されている

さらに別のパターンですが、人の本質は、嫌いな相手や関係ない他者への態度にも現れます。前述しましたが自分の好きな人への対応は、誰でもいい態度ができるものです。

なので、そうではない人、例えばご商売をされている人なら、自分にお金を支払わない、つまり顧客ではない人にどういう態度をとっているのか?

自分にお金を支払ってくれる人には、ハエのように手をこすり合わせはするが、そうではない人に態度が悪かったり、雑に扱ったり。

具体的な例でいうと、営業電話があった時に、相手が話を聞いているときは声の調子も口調もいいのに、断った途端、「あー、そうですか」ブチ!と電話を切るような人。

その人の本質はそれです。

常に私たちは試されています。上記のようなことがあったとしても、自身の品格を保てるのか?自分の信念につき従えるのか?ということ。

特に、怒りが湧き上がったときに、その人の本質があらわになります。これは怒ってはダメということではなく、そんなときに、生き様がでたり、その人の品格がでたり、人間性が試されるときでもあったりします。

いいときも悪いときも・・・

人の本質があらわれるとき、というのは、急いでいるまたは慌てているとき、困難なとき・災害のとき・つらいとき・お金がなくなったとき、人間関係を終わらせたとき。

反対に、うまく行きだしたとき・お金がたくさん入ってきたときもそう。

困難なときでも平常心でいられるか?冷静に対処できるかどうか?うまくいったときには、おごり高ぶらずにお陰様の気持ちで、謙虚でいられるか?です。

ですから、何も起きていない平安な時に、謙虚であることを意識したり、そして今あるものに感謝の気持ちを持つなど、当たり前などないことを思い見るようにする。

もちろん私自身も、これまでを振り返り、すべてがうまく行っているか?と言ったら、関わる人が多い分、トラブルもありますし、うまくいかないこともあります。

しかし、それをも最近は笑い話になるくらいで、それさえも楽しんでいます。

トラブルのときは特に、人生経験が増える!人としての厚みができる!また知恵が増す!という感覚にさえなります。

世の中には変な人、というのもいますが、その変な人だと感じる人もまた興味深くて、たくさんのことを学ばせていただいています。

私のマイルールでもありますが、たとえどんなに暴言を吐く人々に対してでさえ礼節を欠いてはいけない、と最低限守っていることです。

応報は私ではなく、天がそれをするでしょうし、天がしなければ法がそれをすることになるから。

本質というのは、普段どういう生き方、在り方をしているのか?で構築され、そして普段と違う状況のときに一気に現れます。

逆境をどう乗り越えるかで本質は磨かれる

時々、ふと考えます。

何か災害が遭った時に、人々の中にあって、自分は我先に逃げ道を確保して一目散に逃げたりするだろうか?それとも弱き者たちを誘導したり、助けたりできるだろうか?と。

精神面で鍛錬することがあります。イメトレのようなものです。 

心の鍛錬をする、などのような禅の世界には未熟者なので自分はその状態ではありませんが、しかしながら、生まれている限り、人としての在り方、人間性、品格などについて、たまに考えたり。

聖人君子ではないものの、それでも生きている限り、成長する喜びを味わい、自己満と呼ばれようが、それでも感謝したり、愛や親切などのよきことを実践していけたらいい、と思うのです。

日々の小さなことで自己を鍛錬しておくと、いざという時や、慌てているとき、感情的になっている時に、自分の本当の人間性が現れます。

だからこそ、逆境のときがその鍛錬の場になります。どう乗り越えるかは、その後の人生に大きな影響を与えるのです。

そう考えると、ただ苦しい苦しい、つらいつらい、と言っているだけよりも学びを拾い、立ち上がる強さに変えて乗り越えたほうが糧になり、その後の人生、そこでついた知恵が自らを助けてくれることでしょう。

しかし、自分は悪くない!という態度でいると学びも何もありません。常に自己責任であり、それをどう受け入れて学びにするかが分かれ目なのです。

最後に、質問を通じて、本質を磨いていくために自分と向き合ってみてください。

・つい自分の良くない部分が出るシチュエーションとはどんな時ですか?
・その良くない部分が出るときや、トラブルに見舞われたときのマイルールはありますか?作るとしたら、どのようなルールを作りますか?

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