幸せになる人の条件
幸せに「すぐ」なれる理由
「あれがあったら幸せなのに、これがあったら幸せなのに」周りの活躍や充実ぶりを見て、ないものにフォーカスして強く思ってしまう・・・。
欲望を持つことは決して悪いことではありませんし、むしろ、それらを生きる意欲と捉え努力したり、がんばったり、がんばらなかったり、楽しく、人生の教訓や法則を学びながら、それらを手にすることは喜びになります。
しかし、それがあったら幸せなのではなくて、自分が幸せだと思える思考になったら、どんな状況でも幸せになれるものです。
きらびやかな世界で、幸せそうに笑っている美しい女性たちを見ると、それが幸せの基準であると勘違いしそうになるかもしれません。
お金があることが幸せだ!と、勘違いしてしまうと、お金がなくなったらすぐに不幸せになってしまう。しかし、お金は幸せへの一つの小さなツールに過ぎません。現にお金がなくても、幸せな人は世界中に五万といます。
幸せは経済的なものにも環境にも状況にもあまり関係なく、物事の意味付けと見方です。
幸せ=いまあるものへの感謝
幸せとは、冷静な見方をすれば、脳内物質ありきのこと。条件にも状況にも関係なく、幸せ物質が脳内で放出された時に、幸福を感じます。つまり、「幸せだなぁ」と思えれば、その瞬間から幸せになれます。
反対に、あれがない、これもない、あれが欲しい、これも欲しい、ないから私は不幸せ・・・なんてことばかり思っていると、欠乏感だらけになります。欠乏感はさらに欠乏を生みますから、それが不幸せ思考の原因なのです。
では、どのようにしたら「幸せだ」と思えて、幸せの脳内物質が分泌されるのでしょうか?それは、再三お伝えしている通り、お金でもブランド物でもなく、今あるものへの感謝の気持ちです。
感謝の気持ちは、溢れ出る感覚で、しみじみと感じるもの。「感謝しよう」と誰かに言われて感謝できるものではありませんよね。常日頃から、小さな「これって有難いんじゃない?」と思えることを拾うことからはじまります。
幸せのハードルは低い方がいい理由
最初に小さな幸せを拾うことが癖になってしまえば、幸せ思考の出来上がりです。その後は、幸せな事柄がどんどん引き起こされていきます。
そして、ありがたくない嫌な出来事「ムカつく!もういや!なんでこんなに大変なのよー!」とその時に、それらが無かった時が当たり前ではなかった、ということを少しだけ考えてみる。それが感謝の気持ちが湧き出る方法です。
感謝の気持ちがない人は、いずれ自分が幸せの源だと思っていたものを、失ってしまいます。
「なくても幸せ」がさらに幸せを呼ぶ
例えば、夫の働きに感謝もせず、ただのお給料を運んでくる人としか見ず、子供には、お父さんの悪口を言うような人は、いずれ、旦那さんを失うでしょう。
妻が旦那さんの自分のことを思っていろいろとしても、それらに全く感謝せず、当たり前かのように思っていて、妻を大切にしない旦那さんであれば、いずれ妻を失うでしょう。
仕事があることや、お金をくれる職場に文句ばっかり言っていて、これまた当たり前と思い、感謝の気持ちがなければ、いずれその職を失います。(私、この経験アリです・・・)
これらは全て、自分のやっていることが、自らに降りかかるだけなのです。シンプルなこと。
あなたの中から幸せと感謝が溢れ出たら、あなたが欲しがっていたものすら入ってくるようになります。それが豊かさであれば豊かさが、成功であれば成功が、物質であれば、その物質が。
ただ、その為には「それらがなくても私は幸せである」ということを信じていることが前提です。物質的にも金銭的にも豊かな日本なのに、幸福度が低いという現実が物語っていますね。幸せが物質でもお金でもないということを。
前述しましたが、幸せというのは一つの概念です。つまり定義も条件も自分次第。人生は、解釈と意味付けでどうにでも生きられるのですから、「いまが幸せだ」と思った人から幸せになれるのです。
徳のある人生は幸せな人生
最後に、時代の流れから見ても、目に見えるものだけが幸せの源泉なのではなく、自分の生き方で幸せを手にしていくという、人間の本質に還ることに気づき始めているのではないかと感じます。
人間の本質、そこが私は「徳」ではないかと思うのです。私たちが子供のころに抱いていた初心に戻ることが、徳を積むことに繋がります。子どもの頃、親や身近な大人達からなんて教えられたかを思い出してみましょう。
「近所の人に会ったら元気にあいさつすること」
「ウソをつかないこと」
「人様のものを盗まないこと」
「自分がやられて嫌なことは人にもしない」
「人の悪口を言わないこと」
小さな頃の大切な教えを、私たちは本当に守れているでしょうか。
文字通りモノを盗みはしていなくても、会社の勤務時間を私用に使うこと、サボること、会社の備品を黙って我が物のように使うこと。そんなこともある意味、盗みになるかもしれません。
待ち合わせして、時間にいつもいつも遅れている人は、他の人の時間をいつも奪っています。それは別に大したことではないと思いますか?
こういう小さなことにどれだけ目をとめ、実行していくか。これが徳を積むことと繋がります。小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実になるのです。
小さな一日一善や、他の人の幸せを祈る気持ち、温かい心、譲り合う心。日常の中でこうしたことを忘れてはならず、それらから小さな幸せを得て、さらに徳を積むことにもなります。
さて、このような人が不幸せになると思いますか?誰が見ていなくても、陰ながら良いことが、習慣的に行えるようになっていく人が。天はそんなあなたをちゃんと見てくれているのです。