運がいい女(ひと)とは?
運がいいは意味付けと捉え方で変えられる
結局、運は何に左右されるかと言いますと、夢を打ち砕くようではありますが、すべての事象に対して、意味付けと捉え方をプラスに解釈できる人です。
いいことが起きたらラッキー!悪いことが起きたら勉強させてもらえたから、やっぱり私ってラッキー!そういう心持ちでいますと、落ち込む時間が少ないばかりか、往々にして心地よい感情でいられるので、そのような周波数を発して、結局似たような周波数の出来事を引き寄せるようになります。
何よりも気分が良い人には、気分のいい人が集まってきますので、人間関係に悩まされないで済むのです。悩みの大半は人間関係ですからね。
人に迷惑をかけようがやりたい放題、一度きりの人生我慢なんてしなくていい!と、言っている人に集まる人は、そういう生き方を寛大にも許容してくれる人種ですので、それもまた、やりたい放題の人は楽に生きられるかもしれません。
私はそんな人を許容するほど器が大きくないので、何も悪いことをしなくても結局人は知らずして人様には迷惑をかけている分、せめて意識的には迷惑をかけずにお互い心地よく過したいと思っています。
運のいい人は感謝ができる人
著書である、運のいい女(ひと)の法則にもしたためましたが、どんな人でも運のいい人になれます。とっても簡単なことです。
他にもたくさんありますが、非現実的でもないし、スピリチュアルなことでもないし、ごくごく当たり前のこと。この本を読んだあとからすぐに強運になれるほどです。
拙著に詳しく書いていますが、ベースは感謝の念があること。感謝は、ありがたいという感情、そして小さな幸せでも当たり前と思っていないので、脳内アンテナが、幸せをキャッチする幸せ脳の持ち主でもあるからです。運のいい人になるにはまずそこから。
感謝の念がない人の場合、一時的な繁栄も幸せもあるかもしれませんが、継続的なものはありません。ずっとお金はあっても幸せじゃないとか、いつも怒ってばかり、イライラしていたり、人と比べて上とか下とか無意識にジャッジしてたり。
運のいい人は、思考経路が感謝に向けられていて、総じて幸せなのです。
徳を積むということ
さて、感謝や運と大きく関係する、私たちができる行いがあります。それが、徳を積むということです。
徳を積むと聞くと、ある人は「胡散臭い」、ある人にとっては「そういう生き方をしたい」そして、ある人は「興味がない、徳を積むとははなんのことかわからない」という人がいます。
実のところ、私もよくわかりません。ただ、ひとつ言えるのは、誰か他人が見ていなくても小さな善行を行う、ということ。
善行とは、文字のごとく善い行いです。人の目がなくても行う。かと言って、人の目が在るからといって、その善行を躊躇すべきものでもありません。善い行いを恥ずかしい、と思う人もいますね。特に日本人は。
仏教の言葉に、お金がなくても地位も名誉も何もなくても、誰でも簡単にできる徳を積む方法があって、それを「無財の七施(むざいのしちせ)」と言い、7つあるそうです。その幾つかを上げますと
眼施(がんせ)と言って、人々に優しい眼差しを送ること。
和顔施(わげんせ)と言って、穏やかな顔で人々に接すること。
愛語施(あいごせ)と言って、慰めの言葉や人を勇気づけたり感謝を述べたりすること。
ここに上げた最初の3つでさえ、別に何もなくてもすぐにでもできる徳を積む行為です。
本当に本当に小さなことですが、これは誰かの為にやるわけではなく、天に宝を積む行為なわけですが、しかし、やってみるとおわかりの通り、自分のためになっていることを実感できます。
自己満だと言われようが、なにしようが、人の目を気にせず、お天道さまを気にして生きればいいわけでして、本当に大切なことは小さな感謝と、徳を積んでいく小さな行動、日々の生活でそれを現していきたいものです。
お天道様は見ているよ
運、感謝、徳。私たちは今一度、昔の基本に戻る姿勢が必要になってきているのかもしれません。人は必ず誰かの力をいただいて生きていて、かつ、誰が見ていなくても、お天道さま、神様が見ているから、良心的に生きる、ということ。
「そんな古臭いことを言って・・・」なんて敬遠もされそうですが、私の祖母がいつも教えていたことは、「他人様に迷惑をかけないこと。そして自分が生きていられるのは、他人様のお陰なんだよ。だから感謝の気持ちを忘れちゃいけないよ」
いつも大正生まれの祖母の言葉が頭のなかでリピートされます。だから、価値観は大正生まれの人と同じくらい古いのかもしれませんが、それはたぶん私は一生忘れない価値観となっていくことでしょう。
皆さんは最近「ありがたいな、感謝だな」と思うことはありましたか?その感謝をまた次へと送り、自分もまわりも幸せになる、そんな小さな徳を積んでいきましょう。
そんな人が運が悪くなるなんて、ありえないのですから。