物欲が高いのは精神が満たされていないから?
物欲にもケースがある
私の場合、精神が満たされていると物欲が低下します。なので欲しかったものを買ってきても、心がワクワクして満たされるー!という、昔のような感覚が最近はなくて、ちょっと寂しいものです。
よく、物欲が高いのは精神が満たされていないから・・・という表現をする人が多いそうですが、私の場合は「物欲がなくなるのは精神が満たされているとき」という意味で、物欲がある人が精神が満たされていない、という意味ではありません。
健全な物欲というのは、ただ単に、買える範囲で買い物を楽しんでいる状態のこと。
「買い物が好き」という人は、乗馬が好き!とか、カフェでのお茶が好き!とか、着物が好き!バイクが好き!とか、ハワイが好き!とかと同じことです。
では、乗馬が好きな人は、精神が満たされていないのでしょうか?カフェでのお茶が好きな人は精神が満たされていないのでしょうか?健全な意味での物欲があっての買い好きは、趣味と同じレベルと言っていいでしょう。
では、物欲がある人は精神性が満たされていないということが、よく言われているのは、どんなケースなのでしょうか?
買い物依存症の危険
買い物以外に楽しみがないと、ずっと買い続けたくなります。そうなると、病的な部分に入ります。
例えば、お金がないのに買ってしまう、買い物することをコントロールできない、買い物がやめられない、ほかに楽しいことがないので、買い物だけに喜びを見出す、何度も同じものを買ってしまう、など。
それは趣味レベルの域を超えた病的な、買い物依存症になってしまっています。
買い物した瞬間は、快楽物質であるドーパミンとアドレナリン、つまりどちらも興奮物質が出ます。物欲がない人は、快楽物質が出ないので、買ってもワクワクしません。スーパーで大根買うのと同じような感覚(大根よりは楽しいのは間違いないのですけどね、例えばで)。
大抵の人は、買うと満足して暫くは、その満足度は続きますが、毎日買い物していたい人は、やはり精神が満たされていないので、買っても買ってもすぐにまた買いたくなります。
精神が満たされていませんから、買い物という一つの行為で、ドーパミン(興奮物質)を出す。だから、買い物依存症の人は自分をコントロールできず、お金がなくても、借金をしてまでも買ってしまうのです。
一般的にこういうケースを語っているのでしょう。だから、もしかして、そんな風に物欲=よくないもの、というイメージを持っている人がいるのかもしれません。
上記の物質は、強い快楽物質・興奮物質ですが、心が満たされていると、強くはないけど、穏やかなセロトニンが出るので、強い興奮物質がいりません。ですから、買い物に興味がなくなる人もいます。
年を重ねると、物欲が若い頃よりなくなる人も多いのは、物よりも違うものへの喜びを、経験上知っているからなのかもしれませんね。
ある程度の物欲は生きる上で大切
個人的な意見ですと、私にとっては物欲があるのはいいことだと思います。
私の場合は買い物をしても、喜びが高まらないのはつまらないし、物欲がないと、「それを買うためにがんばろう!」というような意欲が出ないので、エネルギー値が低いような気もします。
過去の未来手帳には「欲しいもの貯金をしてそれを使う」という、物欲をアップさせるワークも入れました。
それくらい、欲しいものがあること、そのために、ワクワクな気持ちで貯金をすること、自分の働きで欲しいものを得る、という喜びは生きる上では大切なことなのです。
先日ちょっと自分にご褒美をと思い、買い物をしました。
その時は冒頭でもお伝えしたように、前みたいな喜びがなく、残念に思っていたのですが、3日4日と日が経つにつれ、ジワリジワリと買い物の喜びがにじみ出てきました。
その後、少しずつ少しずつ物欲がジワァ〜と出てきたので、物欲が戻ってきました。おめでとう私!
それと、物欲が下がった理由もわかりました。私の欲しいものリスト、もうサラリと買えるものはなくて、欲しいアクセサリーとか時計が1000万以上とか、5億の家が欲しいとか、そんなことばかりで・・・
それ以外のものに関しては、興味がなくなってしまったのも物欲低下の理由の一つだったようです。
自信はある方ではないですが、セルフイメージだけは高いようで(笑)自分的にはいい傾向、ということにしておきましょう。
真の豊かさ・喜びは・・・
いかがでしたでしょうか。ある程度の物欲は大切ですが、やはり過剰になるのは禁物。
そして、真の豊かさというのは、物質的なものが一番でないことは誰でも知っているはず。物質的なものは精神が満たされてからのプラスアルファの喜びです。
もちろん、物欲を満たすことは精神を満たすのに、一役買ってはいますが、生きる上での、真の喜びはそこにはないものですから。