「いい加減」で余裕のある人になる
ドタキャンされたらどうする?
過去、ガチガチの思考だった頃、疲れる生き方だったなぁと、とホント今なら思います。
いつからだったか、自分を愛するように、自分を大切に扱うようになってから、いい意味で「いい加減」なテキトー人間になりました。(まだ高田純次さんは、超えられていませんが 笑)
私がいい意味での「適当」や「いい加減」をお勧めする理由は、いい加減とは、柔軟性があることでもあり、他の人の多少のいい加減さを寛大に許せるもの。それが「良い加減」だから。
過去の事例です。自宅での対面セッションのみをしていたときのこと。対面の場合は、2時間セッションなのですが、とあるお客様から、前日にキャンセルがありました。
当時私はキャンセルの了承と「では別の日の予約を取ってください」というお返事をいたしました。しかし、そのメールに対する返事がなかったのです。
前日キャンセルはドタキャン扱いで、100%のお支払いが生じますし、今一度セッションはどうするか、延期にするのか、それともキャンセルかの返事、及びこのメールを読んだかどうか返事が欲しい、という旨を送りましたが、その後も返事はありませんでした。
その人のために空けていた予定がまるまる空いてしまったわけです。
「いい加減」のすすめ
前述のような状況の時、ドタキャンされた側は、怒りの感情のまま、相手の事情も知らずに、「マナーがなっていない!」とか、「信じられない!」と怒る人も多いと思います。
しかし、よく考えてみて欲しいのは、見えないあちら側では何が起きているか、私たちにはわからない、ということ。
視点が自分側だけからの判断ですと、狭量な見方しかできず、そして、相手が悪い人!というレッテルを張るのは危険なことです。
なぜなら、メールができないほど、大変な事情が相手に起きたのかもしれないし、スマホを落として返事ができなかったのかもしれないし、事故かもしれないし。
そういうときこそ!いい加減になる。「ま、しょうがないか」と。
良い加減になると腹も立たないものです。当時私が思ったことは、「やった!時間の余裕ができた!何しようかな?」でした。
2時間分の金額の損失、ともとれますが、私にとってはお金よりも空いた時間を楽しめる神様からの時間のプレゼント、と、考えますので、ハッピーなわけです。
相手のためではなく自分のために
得られなかったお金や損失に目を留めてイライラしますと、運気が下がります。
ましてそのイライラをSNSなんかで発散して、多くの人の同意を得ようとしますと、負の連鎖は他の人にまで渡ってしまい、結局、出した私にそのエネルギーは戻ってきてしまいます。
そもそもイライラを外に見せている行為に、大人の余裕は感じませんしね。それよりは、冷静にお客様ご自身にそのことを伝えた方が、円滑に物事は進みます。
それでももし、お客様が非常識な対応をした場合には、「こういうケースもあるのだな・・・」と、今後お引き受けしなければいいだけの話。これもまた勉強なわけです。
あら?なんかこう書いていると私、余裕のある寛大な器の大きな人間に感じさせてしまうでしょうか?
そんなことありません。違う面や内なる部分では、目から炎がメラメラと出るくらい、激しい般若になることもありますからね。笑
とはいえ、このようなケースの時に怒るのは、エネルギーの無駄遣いなので、怒ることはありません。年をとったのかもしれません。怒れる=若いということですから。
「いい加減=良い加減、心の余裕」と捉えて、他の人にも寛大でありたいもの、しかしそれは相手のためでなく、自分のためなのです。
ただ、「じゃあ何でもかんでも許すべきなのか?」といったらそうではなく、自分の信念が犯されるようなことであれば、言わなければならない時もあります。そこはしっかり自分で判断しましょう。
「いい加減」で余裕のある人になろう
いかがでしたでしょうか。小さなことは、ドーンと構えて余裕のある人でいたいものです。いい加減は良い加減であり、それはある意味「余裕」なのです。
どこかに少しだけ余裕を作っておく。ハンドルで言えば、あそびの部分。あそびとは、ハンドルを切ってもすぐにタイヤが動かない、少しの余裕をいいます。
これがあるから、事故が起きないのです。それと同じように、人生の事故も余裕がない時に起きることがあります。ですから、どこかに余裕を作っておきましょう。
余裕がある人はしなやかですから。
最後に質問です。あなた自身の中で、「もうちょっとゆるくてもいいな」と思える部分はありますか?それはどこで、そしてなぜですか?
来週からは4月が始まりますね。その前の週末です。お休みの方も多いと思いますから、質問を投げかけながら、じっくり時間と心の余裕を味わってみてくださいね。