「やりたくない」の心が軽くなる方法

「やりたくない」の心が軽くなる方法

それは「ねばならないこと」なのか?

人はしなければならないことがたくさんあって、しかし、それがしたくないことであった時に、苦しさを感じます。

そして、それは実はしなくてもいいことですが、絶対にそこから逃れられないし、しなければならないことだから、と、いつも思っている人に起きる現実は、やはり、しなければならない、という状況が待っています。

やらなくてもいいよ、もう、逃げちゃえば?と言っても、「いや、そんなわけにはいきません。逃げたら、人として、〇△□×・・・・」

それは、やらなければならないことではなくて、それらをやめる許可を自分に与えられないから。ということは結局、あなたが「やりたい」ってことになるんですよね。

それを認めると、やりたくない、って思いが少し軽くなります。自己責任で「やる」ほうを選んでいるのだから。だから、それを認めたらいいのです。

どちらの選択であってもいい

1年くらい前に、セミナー受講者さんにこんな質問をされました。

「親は働けない(働かない)ので自分が生活の面倒を見なければなりません。給料のほとんどを渡して、自分の分はお小遣い数万円。私には未来がありません。ずっと親が死ぬまでお金をあげなければならないと思うとつらいです」と。

私「あげなかったらどうなるのですか?」
受講生「親は死んでしまいます」
私「しょうがないんじゃない?本当に死ぬ?」

この親不孝者!とご年配者に叱られそうですが、結局、親の面倒を自分の意志で見ているのだけれど、それを「やりたくない」と思っているからつらいのです。

極論、いいか悪いか別として、親を捨てて逃げることも出来ます、もしくは、自分がお金を渡さずに済む方法や、第三機関への相談を考えたりもできます。

反対に「親は捨てたくはない」と決意して、お金を渡すことは自分のしたいことだと認めて、続けることもできます。自分は、どちらを選択したいか?という話なのです。

やらないことを選ぶのが自分としては嫌だから、やるほうを選んでいるわけで、逃げてもいいし、逃げずにその役目を果たしてもいいし、どっちでもいいのです。

それでもそれを抱えながらも、楽しいことと、自分の心地いいことをやっていれば、嫌なことがあったとしても、対極を経験しているということで、楽しいことがより一層楽しくなり、そしてありがたい気持ちで満たされていきます。

全部予定通り

私のお世話になっているある男性は、親と家族を介護しています。施設に頼らず、自ら望んでそれをやっています。

もちろん、介護をやった方はご存知の通り、すごく大変ですよね。大変だけど、やりたいそうです。料理も洗濯もそうじも、病院の送り迎えも、自らの仕事をしながらやっています。

彼の口癖は「ありたがい」です。

介護をしないという選択もできますが、「やる」と決めている。なので、本当にたまにしかない、自分の小さな楽しみごとの時、最高の幸せを感じているそうです。

楽(らく)は苦を経験しているから分かるのであり、おいしいは、おいしくないを知っているから分かるのであり、幸せは、不幸せがどんな状況か知っているから分かるもの。

ご存知の通り、人生は楽しいことばかり起きるわけじゃなく、それでも、どこに視点を向けるかで、同じ苦しみが起きたとしても、楽しそうに乗りこえている人もいれば、しんどくて苦しくてたまらない人もいます。

しかし、どんな状況であっても、それは、経験したくてやっていること。以前も書きましたが、全部予定通りなのです。あとで見た時に、なぜ自分にその経験が必要だったかわかるはず。

人生は、どう意味付けるかでまったく世界が違います。実は、意味なんてないのかもしれません。

しかし、心軽くなるような意味付けをすることで苦しいことも「経験させてもらっている」と、前向きに取り組めたり、「この苦しみを乗りこえたら成長だ」と捉えることも出来て、つらいつらいと言って過ごすよりも心が軽くなることでしょう。

つらいことも苦しいこともありますが、そんな中でも、自分の楽しいことと心地いいことに意識を向けて行けば、何かが変わるかもしれません。

そして結局は、どんな状況でも、意味付け次第で「ありがたい」になるのです。

「やりたくない」は可能性の宝庫

弊社WJプロダクツのスローガン、「やりたいことは全部やる自分の人生」。この言葉が伝えたいものは、やりたいことでも、やっていないことの中にも、キャパを広げる要素がたくさん含まれているということです。

やりたくない、と思っている部分にも、そして、やりたいと思っているけど、やらないであきらめていること、結局やれていないことに自分の可能性やキャパを広げる要素が含まれています。

人は、変化を嫌う生き物なので、同じことだけやっているのが楽なんですよね。しかし、その楽な状態は変わらない状態であり、つまり、分からない結果をもたらします。

変わったことや新しいことをする時、もしくは「やらない」と決めたり、積み重ねてきたものを手放す時、ものすごくパワーがいるような気になっています。

しかし、案外、気になっているだけで、一歩前に進んでみたらそんなに大変ではなかった、という発見や、はたまた、やりたくないと思っていたけど、自分を追い込むためにやってみたら、やっぱり辛いのなんの・・・でも充実感や満足感はある!

といった、これまで味わったことがない新しい世界に入ったような気がするものです。

人生の脚本監督はあなた

私も、普通に色々とありますが、それでも、どんな試練があっても、納得させる都合のいい意味付けと、どこに意識を向けるかで、まったく違う乗りこえ方ができると、身をもって体感しました。

苦しく、しんどいこともありますが、それがあってもやはりこれからも新たなことにチャレンジするでしょうし、全体的には、ダントツで楽しい方が多いです。

どちらであったにせよ、納得したら腹をくくり前に進む!逃げてもよし!取り組んでもよし!都合の良い意味付けでOK。

あなたの人生という脚本の監督はあなたなのだから、何を決定してもいいのです。

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