天からのメッセージを受け取る方法
私たちは平等に天からメッセージをもらっている
数年前、とある方からメッセージを頂戴しました。そのメッセージはこの記事の最後に書きますが、これは私だけではなくて、この記事を読まれている誰かにも必要なことだと思います。なにかを感じた人だけ、どうぞお持ち帰り下さい。
人は、その時々にして天から必要なメッセージをもらいます。もちろん、天からのメッセージと言っても、自分の内側から出てくるものなんですけどね。
潜在意識、ハイヤーセルフ、神様・・・なんでもいいのですが、偶然のように本や新聞の見出し、SNSで流れてくる投稿、こういうブログの内容だったり、または直接、誰かから自分に向けて言われた言葉だったり、色んな形で私たちにはメッセージが与えられています。
と、言うよりも、受け皿を持っている者だけが、そのメッセージが与えられ続けるのです。
そして、実になる人というのは、自分の心の畑がちゃんと耕されていて、植えた種が成長しやすい環境が整っている人。雨が降ったら、いつでもその水分を吸収できるようになっている人のことです。
メッセージを受け取れる人、受け取れない人の違い
メッセージを受け取りやすい人と、まったく受け取らない人というのがいます。
受け取らない人、というのは自己完結している人。もう、私はすべてを知っている、学ぶことなどない、自分は何でも知っていると思っている人。人としての成長とか学びに興味のない人ですね。
私の身の回りのすごい、と思える人たちは、地位も名誉も富もそして、人間性まで備わっているような人々なのに、それでも「学びになりました」とか「教えてください」と、とても謙虚です。
一方、「学ぶことなどない」と思っている人、結構いますが、考えてみたら、そういう人は地球上に一人も居なくて、完結していたらもうこの地球に生まれていませんからね。
もしかすると皆さんから見たら、私は何かを教えている立場の人、と見えているかもしれません。
ですが私は、ヒントを与えることはあったとしても、誰かに何かを教えたいというわけではなく、本もブログも、ただの自己表現の場ですから。
どういう人が学んでいるかというと、それは、「学びたい」と思っている人、教えを必要としている人、自己の成長となる学びを、ありとあらゆるところから拾い、適用し、吸収し、糧としたいと願っている人です。
ですから、たくさんのメッセージを貰える人というのは、別に相手が先生という立場からではなくても、隣のおじさんおばさんからでも、子供からでも、嫌いな相手からでも、我が師とみなし、学びを得て成長しています。
そうしますと、やっぱり謙虚でなければなりませんね。我以外皆師也(われいがいみなしなり)の精神なのです。
すべてはどう捉えるか?
すべての事は、あなたがどう捉えるか?だけです。苦しいことは起きて欲しくないことですが、それは今生での私たちが乗り越えて、魂が成長するためにあるもの。
その課題をどうやってうまく乗り越えるか?もしかして、次の人生に持ち越して、また同じ課題に取り組むのはおもしろくありませんから、ここでうまく対応しておきたいところです。
もし、今、あなたが辛い状況にあるならば、「もしもこれが神様からのメッセージだとしたら、どんな意味があるのだろうか?」とフォーカスしてみましょう。乗り越えられない試練はありません。
試練の最中でも、人は笑うことも可能です。これから先、問題にフォーカスして下を向いて生きて行くのも人生。解決方法と執着を解放して、笑って生きて行くのも人生。どちらでも自分で選べるのです。
愛を持って人と接していますか?
さて最後に、私個人に頂いた貴重なメッセージです。それは、「愛の人としか繋がらない」
どういう意味なのか・・・それはご自身で意味付けをしてみてください。「あなたがどのように感じたのか?」が答えです。
私の場合、この仕事をするようになってから、いろんな人が寄ってきます。個人的関心という光のベールをまとい、しかし、内側は私利私欲であったりもします。
そして、誰と付き合うかのバロメーターは、私利私欲ではなくて、当たり前のことだけど、動機が愛かどうか。自分の動機もみつめて、かつ、相手の動機も見極めることが大切です。
もちろんビジネス上で、お互いのwin winやギブアンドテイクがあって、お互いが納得しているなら、もちろんそれでもいいでしょう。
ですが、深い付き合いをするのなら、あなた自身が愛を感じて、相手もあなたに愛を持っている人とのみ付き合う。そうすると、人生はもっともっと豊かなものになっていきますよ。