「ありがとう」が言えない人はうまくいかない理由
経営者だからご飯をご馳走するのは当たり前?
今日の記事は、少し前にある経営者との話題になった点について書きます。
私が個人的、またはビジネスでお付き合いしている人々は人数はさほど多くはありませんが、全員が経営者です。そして、ほとんどの人が、お金の苦労を経験しています。
経営者となりますと、一緒にご飯に行っても、ほとんどの場合、そこで飲み食いした分のお金は社長が支払います。つまりご馳走する立場ですね。
そして経営者同士となりますと、割り勘などは実際には皆無で、その時々で、どちらかが支払う、ということが多いです。
ここからが本題ですが、経営者同士でどちらかがご馳走した場合は、ちゃんと感謝を言葉で伝えます。
どういうことかと言いますと、そうではない人は「ごちそうさまでした」や「ありがとうございました」という感謝の言葉がないことが結構多いよね、と経営者同士の話題のトピックに上がることが多々あります。
つまり、感謝するのは当たり前のことなのに、そうしない人が多い、ということです。
感謝の言葉がない時に抱く懸念
支払う立場になりますと、会社の経費とはいえども、自分の反対側のポケットからお金が出て行くのと同じでして、結局は自分のお金が流れます。
ほとんど会社の経費からではありますが「支払う=お金が出て行く」ということが身に染みていますので、ご馳走になりますと、相手のお金を使わせた、という意識があります。
「うわぁ、いいの?ありがとう。次は私にご馳走させてね」と言ったり、家に戻ってからご馳走さまのメールが届いたり、次に会った時でさえ、「この前はごちそうさま」と感謝の言葉が数回続くのです。
その時の話で、自分の部下たちが感謝をしない場合に気になるのは、その意味は決して「自分に感謝をしてほしい」という意味ではなく
自分の部下たちがそういう感謝のない心を持っているとそれはお客様にも伝わってしまうのではないか、と懸念してしまうのです。
10年ほど前の話。ある女性と仕事で関わって、夕食をご一緒しました。
会計は私が支払いに行きました。その人もお財布を出し支払うつもりで、私の後ろに立っていました。会計が済んだ後、私が「ご馳走させてくださいね」と言った時、彼女は「え?あ…」と言っただけでした。
20代とか30代ではなく、もう50代にも差し掛かる女性ですが、ごちそうさまやありがとうではなく、「え?あ…」だったのです。お店を出てからも何も言葉はありませんでした。
その後、また同じ女性と関わる機会があり、二回目のご馳走した時も、同じ「あ…」でした。
一回目は奢られたことにびっくりして「え?あ…」だったのかもしれませんが、二回目はどうだろう?と思っていたら、やっぱり同じでした。
そんなことは小さなことです。感謝されたいわけではありませんが、今の時代、その礼儀・礼節というものが軽んじられているのかもしれません。
感謝を伝え合う信頼関係
私が20代の時、ある目上の人に、ご馳走なった時には「三回お礼を言う」ことを教えてもらいました。
一回目はそのお店を出た直後にお礼を伝え、二回目は別れ際に「今日は本当にご馳走様でした美味しかったです」または、家に戻ってから、当時だと一筆箋、または電話で。今はメールやLINEでしょうね。
それらの場合は「今到着しました」とか「無事つきました。ご馳走様でした」などの報告つきで。そして三回目は、次にお会いした時に「この前はごちそうさまでした」と。
慣れ親しんだ友には暗黙のルールでしないこともありますが、このように感謝を伝えることは礼儀の一つでもあります。
私には部下もいませんし、スタッフなどはそれぞれ離れていますので、ご馳走する機会がほとんどありません。
しかし、ご馳走した後には、やはり礼儀正しく、違う時に形式ばらずにお礼の品が送られてきたり、あるときは「今日は私が全てご馳走します」とスタッフが言ってくれた時には、嬉しくて、またご馳走したい!という気持ちになります。
その心があるからこそ、お客様にも愛情を持って接することができたり、礼儀正しく対応できる、だから安心して任せられるのです。
基本的で美しい言葉を当たり前に
結論ですが、感謝を伝えない人、「ありがとう」を言えない人は、相手の視点に立てない人です。
そのような人が客商売をした時に、顧客になってくださっていることに、心からの感謝の気持ちを抱けるはずもなく。
お金を流してくださっているお客様に、感謝ができない、ということは、お客様から選ばれない、お客様からも好かれない、ということに繋がっていきます。
だから、成功しづらいと言えます。
お客様がお金を支払ってくれているから自分の生活が成り立っている、という意識がないのかもしれません。
そして、あの人はお金があるからご馳走していただいても当然、と思わないことです。
「ありがとう」も「ごちそうさまでした」も「ごめんなさい」も「申し訳ありません」も基本的でありながら、それでいてとても美しい言葉だと。
私個人はそう思うのです。