負の感情があなたに教えてくれること
人生楽より苦が多い・・・けれど
生きている限り、心地よいことばかりではなくて、もしかしたら、半分以上は不快感を感じて生きているかも知れません。しかし、皆さんの環境の中でも、極力少なくすることはできるものです。
イライラもムカムカも、強い怒りも悲しみも疎外感も喪失感も・・・嫌な気持ちかもしれませんが、それらは自分を知るための貴重な材料となります。
「嫌な出来事は神様からのギフト!」なんて聞いたことがあるかもしれませんが、ぶっちゃけて言えば、そんなふうになど思えないことでしょうし、思わなくてもいいです。
もちろん、そう思って心が落ち着くのならそう思ってもいいと思います。世界は認知と解釈でできていて、心が楽になるなら良いのです。
神様は試練を与えません。試練は、偶然か、または因果応報で起きるもので、神様はいちいち私達にそんなふうに、成長のために与えることはしません。
その試練を許すことはあっても、神様が生み出して人間には与えませんので、ご安心くださいね。
負の感情の裏にあるもの
もし、負の感情が出て、すぐに理性的になることができなくても、感情のアウトプット、または感情が落ち着いたときに、そのまま「ああ、なんとなく落ち着いた」と思うだけではなく
「なぜ、そんなふうに感じたのだろう?」と少しだけでいいので、客観的に自分を観察する習慣をつけていくと、だんだん負の感情に浸る時間が少なくなっていきます。
なぜなら、「なぜそう感じたのだろう?」の答えというものは、その負の感情とは真逆であることを知ることができるからです。
そうなりますと、人生の中での嫌な感情がどんどん少なくなっていきます。ぜひ、次に負の感情が湧き上がったら、次の質問を自分にしてみて、書き出してみてください。
・そもそもなぜ私はそういう感情になったのだろう?
・どうだったら自分は満足したのだろう?
・ということは、どうして欲しかったのだろう?
・それはなぜ?
・そこからわかることは?
例を挙げてみましょう。SNS上では知り合いだったある人と会ったとき、メッセージ上でのやりとりは丁寧でしたが、実際に会ったらとても言い方が高圧的で命令口調、ところどころに嫌味などが入っていて、ものすごく不快でした。
・そもそもなぜ、私はそういう感情になったのだろう?
→想像とは違っていて驚いたのと、人は礼儀正しくあるのがマナーだと思っていたが、バカにされたような気がした。
・どうだったら自分は満足したのだろう?
→最低限マナーある態度だったらよかったのかな。
・ということは、どうして欲しかったのだろう?
→大人として丁寧に接してほしかった。
・それはなぜ?
→私が大切にしていることだから、それに外れると不快になるから。
・そこからわかることは?
→最低限のマナーがない人とはつながりを持たないようにしよう。
このように、自分の中にある大切な価値観であったり人間性の重要性、今後、自分が付き合いたくない人の例を見せられた、という深層心理が掘り起こされました。
たまには、自分の嫌な人をリアルに見ると、反面教師にもなり、かつ、そういう人がいるからこそ自分の価値観が何であるか?明確になるのだな、ということなのです。
すべて、全部OK!
ここまで何が言いたいかというと、どんな感情もすべてOKなのだ、ということです。
あなたももし、色んな負の感情に苛まされているなら、それもまたありなのだよ、と。人がうらやましいなら、あなたもまたそれをやりたい、ということをもっと言えば、あなたもそれをやれます。
人が憎ければ、あなたの中に大切にしている何かがあるということ。人を許せない、という気持ちでさえあなたに何かを教えているということ。
あなたの負の感情を支えているのは、その反対側にある、肯定的でポジティブな感情です。
イライラする、というのも思い通りにいかない苦しさを体感し尽くしています。それもまたいいことです。そして、それがあるから、うまくいった時の喜びは倍増なのです。「また、がんばろう!とも思えます。
人が成長するときというのは
いかがでしたでしょうか。苦しいことも負の感情も全部OKで、それらの感情を味わい尽くしている、それらを誰もが経験の宝にしようとしているのです。
後に、その経験は、あなたのひとつのデータとなり、また同じような時にそれがファイルから出されて、今度は楽々クリアできるようになります。
さらに言えば、そのファイルに収められたあなたの経験のデータは、他の人のお役にも立ちます。
きっと、そのつらい渦中にいる時は、宝なんて思えないでしょう。しかし、人が成長するときというのは大抵、嫌な経験から学んでいるのです。