幸せのハードルは低い方がいい理由
幸せのハードルは高い?低い?
願いは高く!野心も野望も持つことは、大いに結構なことだと思います。私自身、現状は十分すぎるくらい理想の生活でもありますし、とても満たされてもいます。
とは言えまだまだ山のふもとにいますので、登り始めた限り、さらに前に進もうとするのは私の本能かな、止まっているのがいやなだけなんでしょうね。
しかし、これまでの中で確信していることがあります。それは、幸せのハードルが低ければ低いほど、日常の満足度と幸福度も高く、そして引き寄せ力も格段にアップする、ということです。
願いも野心も野望も持ちつつも、日常で得られる小さな喜びを大きく喜べる体質になると、あなたの数々の願いが叶いやすくなります。なぜでしょうか?
小さな幸せにフォーカスする
先日の記事でも書きましたように、その求めていることに執着がないからです。執着の背後にあるものは、大抵の場合は負の感情。競争心やねたみ、不安、恐れ、虚栄心などです。
負の感情をスタートダッシュへのエネルギーへ変換して、その後やるべきことに集中できたら継続できますが、いつまでも負の動機を抱えていると、欠乏感を満たした状態で生きる事になってしまいます。
欠乏感が何を引き寄せるかはもうおわかりですね。欠乏という現実がやってきますし、何よりも幸せな状態ではないので、当然日常では幸せではない事柄ばかりに目が止まります。
これはスピリチュアルなことではなく、脳の機能でもあります。網様体賦活系という部位はフィルター(その情報がいるのかいらないのかを判断)とアンテナのような役目をしています。
脳は、自分が興味のあることにアンテナを立ててくれ、情報を集めてくれます。いつもアンラッキーや不幸、欠乏にばかり目を留めていると、脳はもっとそれに類することを集めてくれます。
逆に、小さな幸せを敏感に拾う人は、(実は拾っているのは脳の機能)たくさんの幸せを拾って、小さな幸せにも喜びを感じ、時に経験するこの上ない幸せに対して、さらなる喜びを感じるのです。
「明けない夜」が早く明ける方法
「幸せなんて見えません、いまドン底状態でつらいです・・・」そんな方が読んでくださっているなら、心からお伝えしたいのは「明けない夜はない」ということ。これは本当です。
私の場合は、大抵、このつらい時期を過ぎると、いつも必ず神様からのギフトを頂戴していました。ですから、つらいしんどいことが起きると、こう思っています。「次はどんなギフトがあるのだろう?」と。
しかし、いつまでも長い間、神様からギフトを頂けないこともあります。それは、そのつらさを他の人のせいにしたり、そこから学ぼうとしないこと。そして、いつまでもそのつらさにばかりフォーカスしていると、ギフトはやってきません。
これらをやっていると、「明けない夜」が長くなってしまうのです。ですから、短期間で抜け出す方法は、上に書いた逆のことをするのです。
何か問題があったならば、自己責任であると。どうしようもない不可抗力のような試練ならば、そこからあなたがどんな教訓を拾うのか?何を教えてもらっているのか?にフォーカスをする。
そしてやはり、そんな中でも、今日のタイトルにあるように、幸せのハードルを低くし、試練の中でも「ありがたいな、おいしいな、ほんの少し笑えたな、そして、それでも自分は生きているんだな」と、小さな幸せを探して、見つけて、味わう。すると、早く抜け出せます。
そして抜けた後はあなたに必ずギフトが来ますよ。本当に。
本当の望みを叶えるために「幸せに満たされること」
現状がうまくいかないのは、自分の不足や欠如の部分に目を留め、そこに不平不満、苛立ち、居心地の悪さ、不快感を持っているから、それに準じた事象が起きているだけなのです。
本当の幸せは、物質でもなく、豪華な食べ物でもなく、立派な家でも車、ブランド物を多数持つことでもなく、本当に身近な日常生活の中に、たくさんあるのだと気付くこと。
それらに気付けると、あなたがもし、物質も豪華な食べ物も、立派な家も車もブランド物を「望むなら」入ってくるようになります。
喜びの原点に戻ると、そうした外的要素ではないことにすべてを得た時に気付くものです。なので、それらを得るまで頑張ってみたい人はそれでもいいのです。
しかし、人のあたたかみに触れた時の喜び、我が子の満面の笑み、毎日お味噌汁とご飯を食べられる幸せ、と日常の小さな幸せを感じていくと、自分の周りは幸せだらけだと気付きます。
幸せのハードルは低ければ低いほど人生は満たされます。すると本当の意味で、あなたの望みも野望も叶っていくことでしょう。