本当のポジティブ思考~エゴにならないために~
「ポジティブ」と「都合よく考える思考」は違う
人生、ポジティブの方が断然に生きやすいですし、明るく笑いが多い人生になることでしょう。ポジティブは楽観的であり、そして問題があっても悩みから解放されていて苦しさにフォーカスしない、思考がシンプルだったりするものなので、幸が多い人生になります。
ただし、それは自身に関してのみなので、ポジティブ過ぎる人と関わっている人はどうかはわからないですけどね。もしかして、他人が悲もうが、喜ぼうが、苦しもうが、自分には関係ない、という思考などを持っていたりすることもあります。
人が生まれてきた目的は、喜びにあふれて幸せな人生を送ることに加えて、人間関係の中で何かを学び、成長して、そして個でありながらも、相互関係で生きて行くこと。そこには、人とのご縁が繋がったり、離れたりは当然ありますが、人間関係からは特に大きな学びを得ています。
愛する人が悲しんでいたら、悲しい、というのは通常ではありますが、ポジティブの度が過ぎると、「自分がやったこと、言ったこと、やりたいことで、他の人が悲もうが苦しもうが、それは相手の問題。自分には関係ないから、僕はやりたいことをやるよ!僕の人生だもの!」という思考になりかねません。
誤解して欲しくないのは、全く関係ない他人のことまで考えて生きよう!ということではありません。しかし私たちは、自分の愛する人々や、責任を追っている部分に関して、無責任に色々とできない世界に生きているのです。
良くも悪くも、エネルギーは返ってくる
しかし、それでも、無責任に「家族が悲もうが、怒らせてばかりいようが俺には関係ない。だって人生自己責任でしょ?」という人々もいるのです。前向きで、幸せ思考かもしれませんが、関わる人は大変ですよね。
一家の稼ぎ頭である夫が、パチンコが好きで、働きもせず生活費をパチンコばかりに使っていたり、浮気をしたいからって、奥さんが悲しもうが、子供達の教育に悪かろうが、それを悪びれることなく、やりたいことだから!と言ってやり続ける・・・なんてこと。
これをエゴイスティック、エゴイズム、と言いますつまり、利己主義、利己的、自分勝手なのです。それをやるために生まれてきた魂があるとしたらエゴで生きることで、応報される苦しみを経験するためなのでしょうが、人間は、学ぶことができます。
学ぶ意識がなければ、因果応報で、その苦しみを身に受けて、ただただ、「なんで?なぜ私が?あるがままに生きただけなのに、なぜ私がこんな目に遭うの?」となることでしょう。
決して脅しているのではないのですよ。この世のシンプルなエネルギーの法則です。放出したエネルギーは、同じようなエネルギーを受けるだけ、ということなのです。
本当のポジティブはネガティブの大切さを知っている
自分がやりたいことをやって楽しいのに、なぜ、そのエネルギーが苦しいの?という話になりますが、自分がやっていることであなたが愛する人、関わる人が、悲しみを受けている、ということをわかってやり続けているなら、その時点で他人の苦しみの原因を作っていることになります。
もちろん、他人の責任まで負う必要があるのか?と問われたら、イエスでもありノーでもあるのですが、その責任を約束して契約のもとにいるなら、やはり、その責任は何らかの形で負う必要があります。
私のような発信者は、ある意味、毎日エネルギーの放出だから、楽しければ、何でもしちゃえ!家族が悲しもうが、他人様が不快に思おうが、心地さえよければいい!なんて発信をしていたら、そのエネルギーの報いは当然、私にやってきます。
本当のポジティブとは、コインの裏にあるネガティブを正しく理解し、どちらも持っている自分をも理解し、そしてネガティブな感情を否定することなく、学びと教訓を得て、成長していく、糧にすることなのです。
これらは私、ワタナベの主観なので、そうじゃない!と思う人もいるかもしれませんが、それはもちろん、当然のことだしそれもまたOK。
何にしても、過ぎたるは及ばず。ポジティブとネガティブは、ちゃんと居場所があり、特にネガティブ感情こそが成長の糧であり、何でもポジティブに考えればいい、ということではないのです。
心理学で言えば、ネガティブな感情は本当に宝であり、そこから自分の本質を見つけたり、ポジティブを掘り起こしたり、そして、その感情を上手に乗り越えるための方法をたくさん教えてくれるもの。机上の空論や思いつきなどではなく、幾人もの先人たちが、体系化したものを今、私たちは学ぶことができているのです
迷惑をかける生き物だから・・・
はっきり言えば、私たちは、迷惑をかけようと思っていなくても、知らずに迷惑をかけていますし、知らずに人を傷つけています。知らずに罪を犯してもいます。どうせ迷惑かけているんだから、もっとかけていいだよ、ということではなく、迷惑をかけているんだからこそ、迷惑をかけないような歩みが必要ではないでしょうか?
縦があって、横があって、高さや深さがある、この生きづらい三次元は、空間移動もできませんし、タイムトラベルもできませんし、本当に別の次元と違って生きにくい。しかし、自分の心がそういう三次元の物質的なところにばかり目を向けていなければ、もっともっと生きやすくなるのです。
同じように、自分がいて、他人がいて、家族がいて、知らない人々ともこの地球上に共存していて、そういう生きづらい世界にわざわざ来ることによって自分の本来の目的を思い出し、この世界においても、学びと成長を経験するために生まれてきた。もちろん、楽しみながら・・・ね。
もちろん、誰かが傷つくなら、やりたいことは諦めよう!という極端なことではなありません。責任がありますから、やることで被る結果を主体的に受け入れて責任を取る、そうしたらやればいい。
それが、本当の自己責任。責任がある上での私たちの自由なのです。