人の成長の機会を奪ってませんか?~他人を変えようとしない~

人の成長の機会を奪ってませんか?~他人を変えようとしない~

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「変えてあげよう」なんてエゴ

人は、自分が良かったと思ったことを、他の人に教えたくなります。中には、自分の善を基準に、「相手が間違っているから変えてあげよう」とか思う人もいます。

結論から言うと、人は人を変えるきっかけぐらいは与えることはあっても、他人の人生を変えてあげようだなんておごりであり、それはエゴです。

身近な人に、「これよかったよ、使ってみて」とか「○○がすごく良かったから行ってみて」などお勧めなどは、よくある話で役立つこともあります。

しかし、他の人の決定に対して「あれはダメだよ、やめたほうがいいよ。危険だよ」など、自分の主観を全面に押し出し、自信満々に相手の決定を変えさせようとする人もいます。もし、あなたの決定を、強く変えようとする人がいたら要注意です。

世の中には、いい食べ物も悪い食べ物も蔓延していて、さらに言えば、いい人も悪い人もいて、いい会社もあれば悪い会社もあって、私たちの人生はそういうものといつも隣り合わせです。

できれば最善の選択を私たちはしたいと思いますし、そして、愛する人にも最善の選択をして欲しい、苦しい目には合って欲しくない、と思っているかもしれません。

失敗も避けたいし、病気も避けたい。だからこそ、情報というものが必要で、主体的にその情報の取捨選択をしていく、ということが必要になります。

そしてその責任は誰が負うのでしょうか?そう、自分自身です。

自分の決定で苦しいことが起こっても・・・

アドバイスした人に責任はないのですが、しかし、自信満々にアドバイスをくれるその人の影響を少なからず受けてしまうことがあります。だから、アドバイスは時に、危険がはらんでいることもあります。

なぜなら、アドバイスする人は、その人の人生観、背景、主観、そして、その人のあいまいな記憶でアドバイスするわけですから。

記憶は正確ではありません。受け取りたいものしか記憶しておらず、さらに言えば、その人のフィルターで通している情報、遮断している情報、さらには、歪曲したり、省略して覚えているから。

もちろん、私のブログも然りです。ブログは完全に私の主観であること、そして、私は誰かの決定を変えたいわけではありません。受け取るも自由。拒否するのも自由です。

その人の決定でその人が苦しい目に合っても、それすら人生の中での、その人が経験したかったこと、その人が成長する機会をその人が選択した、とさえ思っています。

例えば親は、愛する子供につらい目にあって欲しくないことでしょう。子供のする決定が間違っていたら、「間違っているからやめなさい」という親もいれば、子供の成長を思い、責任を教えるために決定を許す親もいます。

私の親は後者でした。というより娘である私が頑固でしたから、あまりにも不従順で親の言うことを聞かず、苦しい目にも沢山あいました。親が言った通りです。

しかし、やってみないのに、やめるのは納得がいきません。経験してはじめてわかる、納得するのです。そこからたくさんのことを学び、今があります。

子供の前の石ころをいちいち避けてくれない、放置する親でよかった。親が、私から成長の機会を奪わなかったこと、心より感謝しています。

失敗・困難は学びのチャンス

前述では親を例に書きましたが、これは友人でも、夫婦でも恋人同士でも、人生の先輩と言う立場でも、コーチでもカウンセラーでも講師でも同じです。

人の生き方を変えようとしたり、人の決定を間違っているとか、やってはダメだと阻もうとする人は(親のみならず)、その人の可能性や学びや教訓を取り上げてしまうことにもなりかねません。

できれば愛する人に、失敗もしてほしくないし、危険な目に遭って欲しくない、苦しい思いもしてほしくない。だから、おせっかいかもしれないけど、ついついアドバイスをしてしまう、そんなことやっぱりあるかもしれません。

その動機そのものはよいものですが、もし、失敗からその人は、とてつもなく大きな学びがあったとしたら、もしかして、その学びのチャンスを奪っていることになるかもしれないのです。困難が人の成長に帰するものでもあるから。

コーチは、クライアントが「したい」と言ったことが、自分の経験上99%失敗する、とわかっていても、クライアントがやりたいと言うなら止めません。1%の可能性を見つめて行動しようとしているクライアントを応援します。

なぜなら、1%の可能性が花開くことだってあるわけです。でも、もしそれで成功しなかったとしても、そのことから、大きな教訓を得ます。その教訓と成長を得るチャンスをコーチは奪えません。

私、以前は、人が苦しんでいるのを見て、その人以上に苦しみメンタルを壊し、しんどくなっていた時がありましたが、今、誰かが苦しんでいるのを見たり知ったりした時に、以前の100分の1くらいになりました。

それは、世界の裏側で、飢餓で苦しんでいる人々がいたとしても、彼らには彼らの学びが今生にはあるのです。たとえ、大人になる前に命を落としたとしても、魂の長さに優劣はないし、死は負けではない、ということも知ってから心が騒ぐことがなくなりました。

そして、心痛めている暇があったら、お金を稼いで、できる人ができることをすればいい、とニュートラルにも捉えられるようになりました。

情が薄くなったのではなくて、「あなたも私も絶対大丈夫!」と思うのです。どんなに苦しい状況でもです。

生きていて目の前に起きることすべては必要だから起きている、または自分が経験したくて、そういうことになっているのだから。

その苦しみを乗り越えることで、一つ成長し(ステージが上がる感じ)経験値があがっていくのです。

なるようにしかならないから

最後に、今、もし苦しい環境にある方、渦中にある今は死ぬほどしんどいかもしれませんが、絶対絶対大丈夫ですから。あなたには、乗り越える力も能力も知恵も精神力もあります。

もし、あまりにも苦しい時は、もうすべてを天に投げてみてください。

なるようになり、なるようにしかならない。それがもし宿命なら、甘んじて受け入れて、神様からの宿題だと思って取り組んでみましょう。

いかがでしたでしょうか。今日の記事で何か拾える点がありましたら幸いです。

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