すべてのことには時がある~言いたいから言えばいいってものじゃない~

すべてのことには時がある~言いたいから言えばいいってものじゃない~

聖書・伝道の書三章より

天の下では、何事にも定まった時がありすべての営みには時がある
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある
植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある
くずすのに時があり、建てるのに時がある
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある
嘆くのに時があり、踊るのに時がある
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある
抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある
捜すのに時があり、失うのに時がある
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある
黙っているのに時があり、話をするのに時がある
愛するのに時があり、憎むのに時がある
戦うのに時があり、和睦するのに時がある

以前にもUPしたことのある、聖書の言葉です。これを読むと、どんなことがあっても穏やかな気持ちになります。自分が望んでいないようなことがあったとしても、それもまた、ふさわしいその「時」だったのだ、と思えます。

ふさわしい、というのは、自分にとって苦難がない、と言う意味ではなくて、苦難も喜びも含めて、それを経験するのにふさわしくもあり、時が満ちた時には、自分が行動する時でもあるので、そのふさわしい時を、決して逃さないことも必要です。

人にはバイオリズムがあり、上がっている時もあり、下がっている時もあるので、それがわかっていると、無駄に抵抗したりせず、活動的になる時と、ただ静かに過ごす時であると認識し、心穏やかに過ごすことができます。

黙っているのに時がある

さて、何事もふさわしい時がある、そして聖書の言葉の中には、黙っているのに時がある、というのがあります。

時々、誰かの記事に対して批判や反論を書いている人をみかけます。色んな思考があるし、色んな考えがありますし、公開していて、書き込みができる以上、書き手は、アクセス数があればあるほど、そのような批判や反論があることを想定しなければなりません。

そんなことでいちいち心折れていたら、発信をするのが難しくなります。起業されて、誰かの批判に心折れて、やめてしまう人もたくさん見てきました。

発信することへの恐れをもってしまい、自分の考えを書くことをやめてしまう人は結構多いのです。

もちろん、それに耐えられなければやめるしかないのですが、気にしない、スルー力、そしてそうした外部から放たれる心無い発言に対してのいわば、「鈍さ」のようなものは必要です。

と言っても、発信者が強くなれば問題ない、と言っているわけではありません。自分の考えだからといって、そして、自分が伝えたい、言いたいというエゴで相手がどう思うかなど考えず、伝えればいいというものじゃない、と常々思うのです。

伝えたければ伝えればいいってものじゃない

たとえば、誰かが「◯◯大好き!」と言っているのを聞いた時、「ええ?信じられない。私は嫌い!」とわざわざ言う必要があるでしょうか?「好き!」と言っている相手の気持ちは考えないのでしょうか。

相手に「あなたはどう思う?」と聞かれたら、答えればいいでしょうけれど、相手の感想にわざわざ否定の言葉を言いたい理由は何だと思いますか?

それは、自分の考えを言うことでスッキリしたい、発言したいという欲望を満たしているのです。つまり、その発言は自分の欲求。エゴです。相手がどう感じるかなんてお構いなしなのです。

自分の反対意見を言うのがかっこいいのでしょうか?聞かれもしない反対意見なんて、聞いた途端、不調和、そして、不協和音です。

私もこれまで多くの記事を書いてきました。そして、読みたい人がそれを読み、コメントしたい人がコメントする。納得した人が納得する。気に入らない人、そう思わない人はスルーしたことでしょう。

もちろん私の考えや意味付けには賛否両論あるとは思うのですが、とある記事に「それは違うと思います」とコメントをくださった方がいました。

しかも「ごめんなさい」と謝りつつ書いているわけで、その感覚があるなら、これを言って悪い、という感覚があるのでしょう。ならば、黙っておけばいいのでは、と思うのです。

何事にも定まった時があり、いろんな時がある中で、「黙っているのに時がある」のです。つまり、黙っていたほうがいい時がある、ということ。

悪気がなければ何を言ってもいい、何をしてもいい・・・ではないのです。

何事も見分ける力を養おう

記事でも何度か取り扱っていますが、人も環境もメンタルも調和は大切です。調和というのは、自分の内と外の調和、そして、身近な人々とのある程度の調和の中に、「心地よさ」が生まれ、そして全体の調和を得ます。

言葉に出す前に、これは黙っているときなのか?それとも発言した方がいいときなのか?それを見分ける力を持つこと、そして養う力もまた、他の人々の心地よい調和を楽しむ秘訣となるのです。

何事にもふさわしい時があるとしたら、今、自分はどんな時なのかを吟味した時に、ふさわしい行動をとることができるようになりたいものですね。

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